第9回 石油移動社会:空間 – 時間の圧縮とエネルギーのフロー

世界は「石油」でできている?

 ナフサ。2026年に入って、この言葉をはじめて知った。「なんだろう、柔らかくて、手触りがよさそうなそれは」と思い調べてみると、ガソリンに似た無色透明な液体で、石油化学製品の原料の一種だとわかった。あるサイトでは、ナフサをこう説明していた、「ガソリンになりきれなかった、透明で軽い液体の油」と[1]

 原油を精製して得られるナフサからは、さまざまな石油化学製品の基となる物質がつくられる。さらに、そこからプラスチックや合成繊維、合成ゴム、合成洗剤、塗料などの原料となる石油化学誘導品、いわゆる中間製品がつくられていく。そして、中間製品は工場などに運ばれ、パソコンやスマートフォン、テレビといった電化製品、医療機器、自動車部品、さらにはレジ袋やラップ、ストロー、ペットボトルなどの日用品へと姿を変えていく。

 これほど身の回りに溢れているにもかかわらず、不足していると言われるまで、その存在を知ることはほとんどなかった。失ってはじめて大切さに気づくとはよく言うが、ナフサもそれである(失われたわけではないが)。当たり前だと思っている暮らしが、実は数多の石油由来製品によって成立していたのだ。

 では、なぜナフサが社会的、政策的、経済的に注目される事態に至ったのか。それは、2026年2月末、米国とイスラエルによるイラン攻撃を契機に、新たに始まってしまった戦争に端を発する。国際情勢が不安定になる中で、ホルムズ海峡の封鎖という異例の事態が生じた。世界の原油と液化天然ガスの約2割、日本が輸入する原油の8割から9割もが通過する海峡が[2]、一時的であっても封鎖されたのである。エネルギーのフローが止まった。

時間-空間の圧縮とグローバリゼーション

 1980年代末、ある著名な地理学者がグローバル化の本質を「時間と空間の圧縮(Time-Space Compression)」という概念で表現した(Harvey, 1989=1999: 308)。ポストモダンを代表する論者の名は、ディヴィッド・ハーヴェイ。

 時間と空間の圧縮とは、グローバル化、情報技術、交通・物流システムの発達によって、物理的な距離や空間、時間の障壁が急速に縮められていくことを意味する。かつて、鉄道や馬車、帆船などが主な移動手段だった時代から、自動車、飛行機、大型船舶などの石油を利用した内燃機関が登場したことで、長距離移動にかかる時間は飛躍的に短縮された。石油由来のエネルギーが社会を支える主動力となったことで、外国で生産された産品や、遠く離れた国で採掘された資源も、短い時間で私たちの元へと届くようになった。

 結果として、世界は“縮小”し、「いま、ここで生きる私」の行動が、「どこかで生きるあなた」の行動へと影響を与える時代が到来した。逆も、また然りである。グローバルな問題とローカルな問題が相互に絡み合う、グローカル(Robertson, 1992=1997: 16)な相互作用で満たされた世界は、石油で成立している。

 遥か遠い地の海峡で起きた出来事によって、近くのスーパーの棚に並ぶポテトチップスのパッケージが白黒になる。夕飯のオムライスで使ったカゴメのトマトケチャップが、透明なデザインになる[3]。どこまでナフサが不足しているのか、あるいは不足するリスクがあるのか、その実態を一市民が正しく把握することは難しい。業界の人でさえ、先行きを見通すことは容易ではないだろう。ただそれでも、海上輸送される石油の相当部分が通過するホルムズ海峡で起きている異常事態が、私たちの今日の暮らしにも影響を与えていることだけは、確かにわかるのである[4]

 ナフサをめぐる報道や一部企業の姿勢に対して、「不安を煽るな」という声もある。しかし、どれだけ統計的・客観的・科学的な合理性に基づいて「リスクは低い」「心配はない」と説明されたとしても、日常的・経験的・社会的な感覚に基づくリスク認識との間には、ギャップが生じる。リスクの社会学者ウルリヒ・ベックの議論を踏まえれば、こう言えるだろう。それもまた、世界規模の運命共同体が生まれたグローバル化の帰結なのだ、と(Beck, 2002=2010: 20)。

移動する石油・石油で成立する移動

 ここまで読んで、こんな風に思った人もいるかもしれない。「なぜ、移動がテーマなのに、ナフサを、そして石油を語るのか」と。

 本連載では、これまでさまざまな移動を論じてきた。VR、自転車、テレワーク、地方移住、都市移住、鉄道、自動車、ドローン、国境管理。意外かもしれないが、移動を前提とするほぼすべての活動は、かなりの程度、石油に依存している(Urry, 2016=2019: 163)。VRのヘッドセットやコントローラーは、石油由来の素材でできているし、テレワークに必須のパソコンやスマートフォンも、石油由来の素材を多く含んでいる。自動車の燃料も、いまだ多くは石油由来である。

 石油は現代の移動を支えるだけでない。石油それ自体もまた、移動している。

 ただし、石油は勝手に移動しているわけではない。パイプライン、港湾、タンカー、精製施設、それらを支える労働者によって、石油は日本へと届く。にもかかわらず、ポテトチップスの袋やケチャップのパッケージが変わったことは話題になっても、それを運ぶ人たちの移動をめぐる状況が語られることはあまりにも少ない。

 ホルムズ海峡の封鎖は、石油だけでなく、それを運ぶ人たちも不動化させている。この間、ペルシャ湾に取り残された船舶は約2,000隻にのぼり、船員2万人余りの多くは下船できず、食料や真水の供給が不十分な状況に置かれている(Reuters, 2026)。3カ月近くも海上で不動化された船員たちは、狭い居住空間、共同の食堂、灼熱のデッキを行き来するだけの孤立した生活を送っている。石油が止まってしまった、ナフサが不足している、では、それを運ぶ人びとの不安や不動は、どれだけ語られているか。

 こうした状況は、コロナ禍のエッセンシャルワーカーの姿と重なる。多くの人が「ステイホーム」を求められるなかで、看護師、ごみ収集業者、ドライバー、ギグワーカー、物流従事者といった人びとは、ステイすることなく移動し続けた。多くは、ステイする人たちから移動を“外注された”人びとである。しかし、その姿は不可視化されていたように思う。共通するのは、誰の、何の移動が問題とされ、どの移動が問題ないものとされ、誰の移動/不移動が他者の自由のために当然視されているのかという点である。

 移動しているのは人間だけでも、石油だけでもない。モノ、情報、資本、文化、エネルギー、そしてそれらを動かす人びとの身体や労働が、互いに結びつきながら現代社会を支えている。さらに、これら非-人間の移動を根底で支えているのもエネルギーであり、それを可能とするのがインフラストラクチャーである(Harvey 1982=1990; 北川 2021 : 104)[5]。ある研究者らは、次のように書いている、「都市の存続はたいてい、上下水道から電気と情報へ、さらに人と動物から機械と野菜へというように、異なったレベルで生じるエネルギー消費の移動にかかっている」(Amin and Thrift, 2002 : 82)。

 毎日、およそ1億バレル[6]の石油が地中や海底から汲み上げられ、パイプラインとタンカーからなる大規模なグローバル・ネットワークを通じて世界中に運ばれる(Urry, 2013; Savitzky and Urry, 2015: 180)。地球上には幹線パイプラインが200万キロメートル以上にもわたって伸びており、それを可能にするインフラ内部を石油が絶えず移動している。さらに、1万1,000隻以上の石油タンカーが存在しており、石油および石油製品は世界の海上貿易の約3分の1を占めるとも言われている(Watts 2012: 441; French and Chambers 2010)。

 移動の政治(Cresswell, 2010: 6)は、本連載でも何度か登場してきたキーワードであるが、石油ほど政治的な移動の対象物はないかもしれない。なにしろ、今回の石油、そしてナフサをめぐる問題も、国家間の政治危機に端を発しているし、歴史をみても世界の国々は石油資源をめぐって幾度となく凄惨な争いを繰り返してきた。

 日本にとっても、石油は政治的な最重要課題の一つである。『石油とナショナリズム』の著者 シナン・レヴェントは次のように書いている。

 石油は日本にとって単なる貿易品目ではない。歴史を振り返ってみると、ただの液体燃料以上の意味を有するものであることがわかる。日本国及び日本民族にとって石油は「大東亜戦争」の主要な原因の一つであった。また、戦後日本の高度経済成長期に終止符を打ったのは1973年の石油危機であり、オイル・ショックによって日本経済は戦後最大の混乱に見舞われることとなった(レヴェント, 2022: 21)

ジャスト・イン・タイムな世界

 そうなると気になるのは、石油の備蓄である。政治的にも、経済的にも重要であるならば、「リスクを見据えてもっと備蓄しておくべきだろう」と思うかもしれない。2026年5月28日時点で、日本の石油国家備蓄は111日分、民間備蓄は91日分ある[7]

 なぜ、備蓄だけでは不安定な状況に対応することが難しいのか。逆に、なぜ、もっと蓄えておこう、という話にはならないのか。それは、時間と空間の圧縮が進んだ結果、グローバル化の下でエネルギーの移動が「必要なときに、必要な量を、すぐに運ぶ」輸送システムへと変化してきたからである。

 時間と空間が圧縮された世界では、多くの国が、遠隔地から供給される「ジャスト・イン・タイム」な大規模エネルギーシステムに深く依存している(Urry, 2014=2018: 162)。ジャスト・イン・タイム方式とは、必要な時に、必要な量だけ運ぶことで、無駄を排除する考え方である。グローバル化と技術革新により、遠く離れた土地や特定の地域からエネルギーを入手し、輸送できるようになったことで、社会はますますジャスト・イン・タイム化してきた。

 しかし、このシステムは、石油が問題なく移動し続けることを暗黙の了解としている。海峡が平穏で、港湾が機能し、タンカーがいつも通り航行し、パイプラインが故障せず、コンビナートが稼働し続ける。こうした一連の条件が揃ってはじめて、石油はエネルギーとなり、素材となり、製品となり、私たちの元へと届く。逆に言えば、そのどこかで滞りが生じたら、「正常な移動」が瞬く間に「異常な移動」へと変化し、問題が生じるのである。

 ここまでの話をまとめよう。石油は移動を可能にするエネルギーであると同時に、それ自体が移動し続けるフローな物質である。また、私たちは石油によって移動しているが、その石油もまた、絶えず移動している。この二重の移動(石油による移動/石油そのものの移動)の上に、現代の「石油移動社会」は成立しているのである。

エネルギーの上限と移動の自由

 石油移動社会における石油依存の問題性は長年、指摘され続けてきた。しかし、すぐさまいまの関係を断ち切れるほど石油と現代人の関係が浅いものではないことは確かである。となると、これからの時代、私たちは石油とどのように付き合っていけばよいのだろうか。一つ言えるのは、安定供給をめぐるリスクは、形を変えながらも繰り返しており、今後も、国際情勢や物流の混乱によって供給制約のリスクは高まっていくということである。

 日本に関していうと第一次エネルギー[8]自給率は15%程度にとどまり、他国・他地域に比べて低い。グローバル化した世界においては、遠方の地で起きた出来事で、日本の石油事情は一気に不安定になりうる。国内資源の乏しさは容易に変えられるものではないが、安定した移動、自由な移動の機会を支えるためにも、エネルギー自給率の向上は長期的な国家課題である。

 この点で思い出されるのが、今から約50年前、思想家のイヴァン・イリイチが著書『エネルギーと公正(1974=1979)』で書いたことである。日本語版は黄色い表紙が印象的な1冊だが、イリイチは、この本の中で「エネルギー使用の上限を設定しない限り、高い水準の衡平性によって特徴づけられる社会関係の実現は不可能である」と指摘した。

 さらに、イリイチは、産業的な生産様式や巨大化した制度・技術が人間の自律性や創造性を損なうと批判し、そのうえで、コンヴィヴィアル[9]な社会へと転換するためには、専門家や官僚による管理ではなく、道具や制度の範囲、力を社会的に制限する政治的プロセスが必要であると論じた(Illich, 1973=2015)。

 2026年5月、インドのモディ首相は中東で続く政情不安によるエネルギー供給の不安定化と価格の高騰を受けて、在宅勤務の再開、今後1年間の海外旅行の自粛などを国民に呼びかけた。公共交通機関を利用するよう促し、燃料節約のために自動車の相乗りも提案した[10]。このように、不安を粛々と受け止め、政治的・政策的に人びとの移動にある種の上限を課し、自由を統治しようとするアプローチは、コロナ禍に世界中で見られたものである。

権力の幾何学

 インドの事例と比較して、対照的なのがオーストラリアの一部の州における公共交通の無料化である。中東情勢の緊迫化でガソリン価格が上昇するなかで、ビクトリア州は、公共交通を無料化し、その後、半額運賃とする措置を打ち出した。同じくタスマニア州でも、バスやフェリーなどが無料化された[11]

 公共交通を無料もしくは安価にすれば、自動車依存がすぐに解消されるわけではない。そもそも、公共交通が十分ではない地域ほど自動車に依存している。つまり、公共交通が貧弱だから自動車を使わざるをえないわけであり、自動車を控えることは移動の自由を制限することに直結しかねない。日常的な公共交通へのアクセシビリティの差が、そのままエネルギー不安時のアクセシビリティの差になってしまうのである。

 移動をめぐる影響の不均衡を語るうえで、もう一度目を向けたい概念がある。ハーヴェイの時間と空間の圧縮だ。実は、時間と空間の圧縮をめぐっては、優れた理論である一方で、批判もある。たとえば、ハーヴェイと同じ地理学者のドリーン・マッシーは、時間と空間の圧縮が、あたかも社会全体に均質に経験されるかのように語られることを批判している(Adey, 2010: 91-95)。

 マッシーは、こう言う。移動や通信へのアクセス、それを利用しコントロールする力、そこから利益を得る可能性は、ジェンダー、階級、国籍、居住地などによって大きく異なる。つまり、時間と空間の圧縮は、誰もが同じように経験しているわけではない。すべての人が自由で、速い、遠くへの移動やその恩恵を享受できるようになるわけでも、平等に世界へと接続されるようになるわけでもなく、ある者にとっては機会を拡大し、別の者にとっては排除や周辺化をもたらす不均等な権力関係なのである。マッシーはこの不均等な関係を「権力の幾何学(power-geometry)」と呼び、移動可能性の差異が既存の社会階層を反映するとともに、それを再生産、強化しうることを指摘した(Massey 1993: 61-63, 1994: 150-151)[12]

石油不安の時代における、移動の正義

 では一体、私たちはこうした構造的な問題にどのように向き合えばいいのだろうか。最後にもう一つ、新たな概念を糸口に一緒に考えてみたい。アメリカの社会学者でジョン・アーリと共に移動の社会学を前進させてきたミミ・シェラーが、2010年代後半に提案したモビリティ・ジャスティス(mobility justice)という概念である[13]。これは、一連の石油不安と移動の自由を考えるヒントとなる。

 簡単に説明すると、モビリティ・ジャスティスとは、誰が移動でき、誰が移動できないのか、誰の移動が速く、安価で、安全で、快適なものとして保障され、誰の移動が遅く、不安定で、費用のかかるものとして経験されるのかを問う視点である(Sheller, 2018a: 20-44, 2018b: 20-24)。ホルムズ海峡で不動化されたタンカー船員たちを思い出すと、この視点は切実さと現実性を帯びる。石油を待つ私たちの日常は、石油の移動を支えながらも、自らは移動できない人びとの不安と不自由の上に成り立っているからである。

 移動の不平等は交通手段の有無だけでは捉えきれない。それは、エネルギー、インフラ、住宅立地、労働、物流などと結びついた、グローカルな問題である。モビリティ・ジャスティス的な観点からオーストラリアの一部の州による施策を考えると、それは応急的な生活費対策であると同時に、石油に依存する日常的な移動の脆さを実感させるものでもあった。

 今後、問うていくべきは、エネルギー不安そのもの賛否だけでなく、エネルギー不安により燃料価格が上がったとき、「誰が移動を諦めざるをえないのか」という点である。反対に、あまり影響を受けずにいつも通りに移動できているのは誰なのか。代替移動手段を持つ人と持たざる人の差を、社会はどこまで公的に埋めるべきなのか。

 イリイチがエネルギー使用の上限を論じたとき、彼が問題視したのは、エネルギーを多く使えば使うほど社会が豊かになり、人びとの自由も拡大するという近代産業社会の性格であった。より速く、より遠く、より大量に、より頻繁に移動できる社会は、一見するとユートピアである。しかし、その自由は、石油が安定的に供給され、燃料が安価に手に入ることを前提としたユートピアでしかない。前提が揺らぐたびに、移動の自由も揺らぐ。加速する社会は、滑らかに動き続けるわけではない。むしろ、加速のプロセスの意図せぬ結果として、再三にわたる抑止や減速が起き、それらは機能不全を引き起こしたり、部分的に病理的な結果につながったりすることもありうる(Rosa, 2005=2022: 382)。

 きっと今後も、不安が高まるたびに、石油への依存とシステムの脆弱性は露呈するだろう。しかも、その影響は平等には現れず、不安の程度も異なる。石油をめぐる不安や危機が私たちに突きつけているのは、移動の自由を、無限のエネルギー消費に支えられた個人的・私的な自由としてではなく、限りある資源のなかで公平に保障されるべき公共的な自由として考え直すことなのかもしれない。


[1] TBSラジオ 荻上チキ・Session(2026.5.26)「ナフサは足りてる?足りてない? 政府の説明と現場の悲鳴が矛盾する『3つの原因』」https://www.tbsradio.jp/articles/108720/.

[2] 日本経済新聞(2026.3.3)「ホルムズ海峡とは 世界の原油・LNG、2割が通過」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB023RT0S6A300C2000000/

[3] 時事通信(2026.5.19)「食品包装、デザイン変更相次ぐ ナフサ不足を懸念、販売休止も」https://www.jiji.com/jc/article?k=2026051800832&g=eco

[4] 余談だが、ローカルの語源は、ラテン語で「場所」や「位置」を意味する「locus」にある。昨今、日本ではローカル=地方、ローカル=田舎という意味でこの語が使われることが多いが、これはやや狭い使い方である。ローカルは、ある特定の場所や位置、局所性を指す言葉である。地図に刺したピンを思い浮かべるとわかりやすいかもしれない。つまり、〇〇県〇〇町に住む私の家に刺されたピンで起こるローカルな出来事が、地球規模の動向とつながっている。これが、グローカルが意味することだ。

[5] 移動とインフラの関係性は、モビリティーズ・スタディーズとアクターネットワーク理論(ANT)に詳しい伊藤嘉高の説明がわかりやすい。伊藤は「……遊歩者は地域のインフラに沿って散歩しており、地域のインフラとつながらない限り遊歩者は存在せず、したがって、主体的な遊歩者という発想そのものが抽象的であるからだ。逆に、地域のインフラもまた遊歩者によって形づくられる面があり、したがって遊歩者と切り離された地域のインフラも存在しない」と指摘する(伊藤, 2024: 6)。ある移動とそれを成立させるインフラには、フラットな結びつきがあるのである。

[6] 1億バレルをリットル換算すると、約159億リットルとなる。

[7] https://www.enecho.meti.go.jp/statistics/petroleum_and_lpgas/pl001/pdf-oil-res/oil_daily.pdf

[8] 自然界に存在するままの形でエネルギー源として使用されるもの。石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料、原子力の燃料であるウラン、水力・太陽・地熱などの自然エネルギーなど。

[9] 個の自律を重視しながらも、人々が互いに支え合い、共に成長する社会の在り方を指す概念。近年、日本でもこの概念を用いた書籍が刊行され、注目されている(緒方 2021; 井上ほか 2025など)。

[10] BBC NEWS JAPAN(2026.5.11)「モディ首相、インド国民に在宅勤務や渡航控えを呼びかけ イランでの戦争続く中」https://www.bbc.com/japanese/articles/ckgpneny63do

[11] ビクトリア州における公共交通の無料化を後押ししたのは、国外情勢だけではなかったことは付言しておきたい。州内にあるオーストラリア二大製油所の一つ、ビバ・エナジー社の製油所で発生した爆発事故と火災も、その背景にはあった。Investigating.com(2026.4.19)「ビクトリア州、燃料高騰対策で公共交通機関の補助金を延長」https://jp.investing.com/news/economy-news/article-1496179. 時事通信社(2026.4.16)「豪製油所で爆発火災 供給不足の深刻化必至」https://www.jiji.com/jc/article?k=2026041600654&g=int. EXPAT(2026.5.22)「メルボルン運賃無料化で見えた『迅速でわかりやすい』危機対応」https://courrier.jp/expat/articles/40425/

[12] 具体例を示すと、筆者は著書『移動と階級』のなかで、「近年の物価高騰によって自身の移動頻度が減っているか」という調査設問の回答を、年収層ごとに集計した結果、回答者全体の約半数で物価高騰により自身の移動頻度が減っており、年収300万円未満の回答者と600万円以上の回答者では、移動頻度の減少度合いに8.6%ポイントの差があることを明らかにしている(伊藤, 2025: 88-90)。また、同調査結果ではジェンダー間での差異も確認されている。男性の自身の移動頻度が減少しているという回答は49.1%であったが、女性の回答は55.6%であった。しかも、「同意する」と「どちらかというと同意する」のうち、「同意する」の回答で男性:14.9%、女性:20.1%と明確な差が見られたことは注目に値するだろう。

[13] アーリ亡きあと、モビリティーズ・スタディーズを牽引している主要な論者の一人である。日本にも何度か訪れており、筆者は国際シンポジウムで共に登壇したこともある。彼女の理論の特徴は、社会問題や社会運動と結びついたプラグマティックな性格を有する点にあるだろう。移動の社会学の議論はときに抽象的で、理論志向が強いものとなりがちだが、社会学の存在意義そのものが問い直されるいま、シェラーの議論と実践から学ぶべきことは多い。

参考文献

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Cresswell, Tim. (2010) Towards a Politics of Mobility, Environment and Planning D: Society and Space, 28 (1): 17-31.

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Harvey, David. (1982) The Limits to Capital, University of Chicago Press.(=1990, 松下勝彦・水岡不二雄ほか訳, 『空間編成の経済理論(下)――資本の限界』大明堂)

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Illich, Ivan.(1974)Energy and Equity, Calder & Boyars.(=1979,大久保直幹訳『エネルギーと公正』晶文社).

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Massey, Doreen. (1993) “Power-Geometry and a Progressive Sense of Place.” Jon Bird, Barry Curtis, Tim Putnam and George Robertson, eds., Mapping the Futures: Local Cultures, Global Change, London: Routledge, 59–69.

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Reuters(2026.5.25)「アングル:ホルムズ海峡封鎖で足止めの船員たち、孤立や物資不足で過酷な環境」https://jp.reuters.com/world/us/PQ47CELSVVMKPHGG363R4SQN64-2026-05-25/

Robertson, Roland (1992) Globalization: Social Theory and Global Culture, Sage. (=1997,阿部美哉訳『グローバリゼーション――地球文化の社会理論』東京大学出版会)

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Savitzky, Satya and John Urry. 2015. “Oil on the Move.” Thomas Birtchnell, Satya Savitzky and John Urry, eds., Cargomobilities: Moving Materials in a Global Age, Routledge, 180–198.

Sheller, Mimi. (2018a) Mobility Justice: The Politics of Movement in an Age of Extremes, Verso.

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Urry, John. (2016) What is the Future?, Polity Press.(=2019, 吉原直樹・高橋雅也・大塚彩美訳『〈未来像〉の未来』作品社)

Watts, M. (2012) ‘A Tale of Two Gulfs: Life, Death and Dispossession Along Two Oil Frontiers’, American Quarterly, 64(3): 437–467.

伊藤将人(2025)『移動と階級』講談社.

伊藤嘉高(2024)『移動する地域社会学――自治・共生・アクターネットワーク理論』知泉書館.

井上岳一・石田直美編(2025)『コンヴィヴィアル・シティ――生き生きした自律協生の地域をつくる』学芸出版社.

緒方壽人(2021)『コンヴィヴィアル・テクノロジー――人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』BNN.

北川眞也(2021)「惑星都市化, インフラストレクチャー, ロジスティクスをめぐる11の地理的断章」平田周・仙波希望編『惑星都市理論』以文社, 103-151.

シナン・レヴェント(2022)『石油とナショナリズム――中東資源外交と「戦後アジア主義」』人文書院.

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