第8回 移動する者への「まなざし」――空爆・壁・国境管理

戦争の時代から、観光の時代へ?

 「国際」「グローバル」と、名の付く大学の研究機関に籍を置いている。そのためか、もともとは地方や農山村の研究が専門だが、最近は、グローバルな移動の話題にも関心が向いている。

 そんな組織の大先輩(という表現すらおこがましいが)に、思想家・東浩紀がいる。時期は被っておらず、まだお会いしたこともないが、氏の著作には学生時代から大きな影響を受けてきた。

 ジャック・デリダの脱構築を「郵便」というキーワードから紐解き、現代社会を不確実な郵便空間として論じた『存在論的、郵便的』、Google的なものをヒントに新たな民主主義のあり方を考究した『一般意志2.0』。SNS時代の情報や人間関係の偏りに警鐘を鳴らし、「旅」や「偶然の出会い」の大切さを説いた2014年刊行『弱いつながり』、観光客から始まる新たな他者の哲学を構想した2017年刊行『ゲンロン0 観光客の哲学』。

 こうしてみると、2010年代半ば以降の東は、「旅」や「観光客」をキーワードに現代社会を解剖してきたことに気がつく。『観光客の哲学』の一節は、東の議論を支える時代認識を端的に表している。

世界はいま、かつてなく観光客に満たされ始めている。二〇世紀が戦争の時代だとしたら、二一世紀は観光の時代になるかもしれない。(東, 2017: 21)

 学部生時代にこの本を読んで以来、妙にこの一節が記憶に残っている。当時は、移動の研究も、移住の研究も、観光の研究もしていなかったのに。

 では、どうして印象に残ったのか。19歳の私には難解すぎて、理解できたのがこの箇所ぐらいだったのかもしれない。というのは半ば冗談、半ば本音だが、真のところはそれが時代診断として正しいものに思えたからに他ならない。

 日露戦争(1904-1905)、第一次世界大戦(1914-1918)、第二次世界大戦(1939-1945)、ベトナム戦争(1960-1975)、イラン・イラク戦争(1980-1988)など、数え切れないほどの戦争が行われてきた。たしかに、20世紀は戦争の時代だった。

 『観光客の哲学』を読んだ10年前は、オーバーツーリズムやインバウンドといった言葉をよく聞くようになった頃でもあった。第二次安倍政権は、2016年に「明日の日本を支える観光ビジョン」を策定し、2020年に訪日外国人旅行者数4,000万人・消費額8兆円、2030年に6,000万人・15兆円とする目標を掲げた。

 その後、日本を訪れる外国人観光客数は増え続けている。正確には、新型コロナのパンデミックで一時的に急減はしたが、それもいまや過去の話と言わんばかりに、2025年は過去最高の約4,268万人を記録した。世界で見ると、2025年の国際観光客到着数はなんと約15億2,000万人にものぼる。冷静に考えると、とてつもない数字だ。

 こうした数字を見ていると、東の時代診断は正しかったように思える。しかし、2020年代以降の国際情勢を振り返るとどうだろうか。

 世界は、明らかに混沌としている。新たな戦争が、各地で起きている。ロシアによるウクライナへの侵攻、ガザ戦争、イスラエルによるレバノン侵攻/戦闘、イスラエル・イラン戦争とアメリカの関与。どの出来事をどれだけ報じるかはマスメディアのフレーミング次第だが、戦争に関するニュースが増え続けている気がしてならない。

 振り返ったとき、結局、「21世紀も戦争の時代だったね」と言われそうな、そんな時代を私たちは生きている。

戦争と移動

 戦争と移動には不可分な結び付きがあることに気がつく。たとえば、技術面。戦争が人類の科学技術を進歩させ、科学技術が戦争を新たなフェーズへと誘ってきた。

 技術には、移動をめぐるものも多数含まれるが、それは、兵士や兵器がどのように移動するかという話にとどまらない。たとえば、移動技術の変化は、「攻撃する者」と「攻撃される者」、「狙う者」と「逃げる者」の関係を常に変えてきた。

 戦争の歴史を振り返るとき、兵器の破壊力や性能の向上に、つい目を奪われがちである。しかし、移動技術とそれに伴うまなざしの変化も、実は、戦地における暴力の在り方に大きな影響を与えてきた。

 古くは、戦争というと馬に跨り、馬に車輪付きの乗り物をひかせ、兵士がそれに乗って敵陣に切り込むようなスタイルが主流だった。サン=ベルナール峠を越えるナポレオンの勇ましい姿や、戦国三英傑が揃って描かれた長篠合戦図屏風の光景を思い出してみて欲しい。

 その後、20世紀になると、いわゆる戦車が登場し、その威力と存在感は戦争のあり方を大きく変えることとなった。世界中の国が戦車の脅威と必要性を認め、相次いで戦車隊を設置した。ただ、この時代までは、武器の性能の差こそあれ、少なくとも攻撃する者は攻撃される者と同じ地理的・空間的な場に身を置いていた[1]

 このような状況を大きく変えたのが、第一次世界大戦以降に本格化した「空爆」である。米軍による1945年3月10日の東京大空襲も、広島・長崎に投下された原子爆弾も、爆撃機による空爆だった。ライト兄弟が世界初の本格的な有人飛行に成功したのが1903年であることを考えると、空への夢が軍事技術と結びつくまでにそう長くはかからなかったわけだ。

 空からの攻撃の成立がもたらしたインパクトは大きい。なぜなら、空からの攻撃は、「攻撃する者」と「攻撃される者」との間に、それまでとはまったく異なる関係性と距離を生み出したからである。なにせ、地上にいる者を一方的に見下ろす視点を成立させたのである。戦争は、相手と同じ空間で戦うものから、遠く離れた場所より一方的に攻撃をしかけるものへと変化することとなった。

 この非対称性をさらに加速させたのが、ドローンである。9.11の同時多発テロ事件以降にアメリカで本格化したドローン空爆は、戦争のあり方そのものを大きく変えた。攻撃する者は、戦場に身を置く必要も、戦地の上空に行く必要もなくなったのである。社会学者の吉見俊哉は、これを「上空からの眼差し」と名付け、著書『空爆論』のなかで、こう指摘している。

ドローンが実用化されていくなかで、パイロットは実際に上空の飛行に乗っていなくてもいいことになってしまった。つまり、地上の眼差しであるパイロットは、「上空からの眼差し」の担い手となり、地上を爆撃するのだが、しかしその爆撃機であるドローンは、さらに上空の人工衛星によって監視・制御されている。他方でドローンはどんどん小型化し、今や鳥や虫の姿をとって民家の天井や道沿いの樹木の枝にとまって周囲を偵察することもできる。皮肉な言い方だが、もはや「上空からの眼差し」は必ずしも上空にいなくてもいいのである。(吉見, 2022: 14)

 「上空からのまなざし」は、もはや飛行機による物理的・空間的な高度に依存しなくなってしまった。人工衛星、遠隔操縦、それを可能にする映像通信、小型化された機体、ゲームコントローラー[2]。最新技術の組み合わせにより、上から見下ろし、追跡し、狙いを定めていたまなざしは、同じ空間、同じ緯度経度にいなくても成立するようになった。まなざしだけが上空化し、危険だけが地上化するようになったのである。

 湾岸戦争のとき、モニター越しに生中継された多国籍軍による空爆は、「Nintendo War」と呼ばれた。映像化された戦争、ゲームのような戦争という感覚は、当時すでに現れていた。

 それから約35年、ロシア-ウクライナ戦争では、ドローンが信じられないほど狭い空間でも正確無比に兵士を追い、殺傷する映像が日常的に流れてくる。荒いドローンの映像では、兵士の顔までは見えない。でも、救いようのない恐怖は、これでもかというほど画面越しに伝わってくる。狙われる者は地上に身を置き続けなければならないのに、狙う者はどこにいてもよい。小型化された移動技術は、新たなまなざしを生み出し、暴力の非対称性を生じさせている。

「最も古く、最も基本的な自由」の喪失

 暴力の非対称性の影響を受けるのは、戦場にいる人だけではない。

 ひとたび戦争が起こると、多くの人びとが戦火に追われ、いま住んでいる場所からの移動を余儀なくされる。行きたい場所を目指す「〇〇への移動」に対して、「○○からの移動」と呼べる消極的移動(瀧川, 2022)だ。どこにたどり着くかはわからない、それでも一刻も早くこの場所から逃げなければならない。

 第二次世界大戦期の「疎開」は、消極的移動にあたる。膨大な数の人や建物が、政策的に移動させられた。疎開と聞くと人の移動が真っ先に思い浮かぶかもしれないが、実は、当初は空襲・空爆による延焼を防ぎ、消火や避難活動をしやすくする防火空地をつくるという名目での建物疎開が中心であった。建物疎開と聞くと、そのままどこかに移築するように聞こえるが、実態は家屋破壊である。

 パワーショベルのような大型機械はない。すべては人力で、ロープなどを使って、一軒、また一軒と壊された。戦争が終わり家に帰ろうと思っても、そこに帰る家はもう無い。

 第二次世界大戦時には、無数の国境を超える移動があった。強制移民、難民、ディアスポラ。日本でも、多くの中国人や朝鮮人が、大陸から国境を超えて強制移動をさせられ、鉱山、軍事土建、港湾荷役などで労働を強いられた。強制移動や植民地支配の歴史は、現在でも遺恨を残す政治問題であり、在日コリアンや在日中国人をはじめとする人びとの国籍、参政権、差別、アイデンティティをめぐる問題とも深く結びついている。

 思想家・政治哲学者のハンナ・アーレントは、「自由」という言葉を聞いたときに思い浮かぶいくつかの自由のうち、「移動の自由は最も歴史的に古く、かつ基本的なものである」と述べている(Arendt, 1968=2005; Mezzadra and Stierl, 2020)。移動の自由は、数ある自由を成立させる前提的自由である。なぜなら、経済的自由、居住の自由、職業選択の自由、身体的自由など、それらはすべて自由な移動ができることを前提としているからである。

 しかし、いまこの瞬間も多くの人の移動の自由が、世界の至るところで阻害されている。グローバル化によって誰もが自由に移動でき、世界中の人とコミュニケーションが取れるようになる、人種、民族、国家という枠にとらわれず、人類が一つの共同体になる、というコスモポリタニズムが描いた理想とは、程遠い状況だ。移動の自由は普遍的に保障されているどころか、2020年代になっても今なお、不均等に配分され、ときに死と隣り合わせのものなのである(Sheller, 2021)。

壁で移動をコントロールする:テイコポリティクス

 ある人にとって国境は、パスポートさえ出せばいつでも通過できる無色透明なものに過ぎない。だが、別の人にとっては、途方もない待機時間を要し、収容・収監のリスクと隣り合わせの、不安と恐怖の対象である。同じ国境なのに、同じ国家間移動なのに、その困難の度合いはどの国で生まれ育ったか、どのような仕事をしているか、どのような経歴か、どんな言語を話せるかによって異なる。

 国境はまるで、到底超えることのできない高い壁のように感じられる。そして残念なことに、壁のように“感じられる”という表現で留まるものではなく、実際、世界のいたるところで物理的な「壁」が建造され続けている(図表1)。

図表1 グローバル化する世界で増え続ける国境の壁の推移(Vallet and David, 2012)[3]

 ドナルド・トランプによりアメリカとメキシコの国境に建設された壁、イスラエルによってヨルダン川西岸に建設された壁、そして冷戦下、東西分断の象徴であったベルリンの壁。

 壁を造る政策によって移動をコントロールしようとする政治を「テイコポリティクス(teichopolitics)」と呼ぶ。こうした動きを、国境の復権と呼ぶ者もいる(Andreas, 2000)。人びとの心配や不安を根拠に、空間を物理的に囲い込んで内と外を分けようとする権力は、人類の普遍的宣言[4]である移動する権利の否定として表れているのである(川久保, 2019)。

「国境」とは線ではなく、束である

 ここまで当たり前のように使ってきたが、「国境」とは一体、何だろうか。

 Google Mapや地図帳でみると、国境は少し太めの線で描かれている。だが、現実世界においては、それは線ではない。国境を示す線が地面に描いてあるわけではない。むしろ、それは移動をめぐる「管理」や「規制」によって構成される束のようなものと呼ぶほうが相応しいかもしれない(Cunningham and Heyman 2004)。

 また、国境はどこか特定の場所に存在し続ける不動なものでもない。人、モノ、情報、資本の移動は、それぞれ独自の制度と装置によって選別され、そのたびに国境は別の場所で、別の形で現れる。都市社会学者のサスキア・サッセンは、次のように述べている。

国家の国境は境界線そのものではない。それは、中身も地理的・制度的位置も可変的な複数のレジームの混合体である。資本、情報、専門職従事者、書類のない移民といった異なるフローは、それぞれ特定の介入の連鎖を通じて国境管理を構成しており、その地理的・制度的位置も多様である。(Sassen 2013: 30)

 国境が束であり、混合体であり、フローが含まれるとは、どういうことだろうか。近年加速する、「国境/国境管理のデジタル化」に着目して考えてみよう。

 国境のデジタル化は、移動を望む人びとのあらゆる側面に影響を及ぼしている。生体認証にはじまり、渡航/移民管理の目的で用いられるAI嘘発見器や声紋認証、さらには移民・関税執行局(ICE)が全米規模で運用するAIカメラネットワークまで[5]。国境のデジタル化は、「歓迎される人」と「歓迎されない人」をめぐる選別志向の強い渡航管理の政治において、きわめて重要な役割を果たしているのである(堀井, 2024)。

 こうした技術は一見すると、国境を超える移動をより円滑に、よりスムーズにする技術に思えるかもしれない。国によって状況が異なる出入国管理のハードルを下げて、より多くの人びとが自由に、手軽に、移動できるようにする技術にも見える。しかし、現実には、誰もが同じように、スムーズに、自由に、移動できるわけではない。

AIアバターによる国境審査

 2016年から2019年にかけて、EUのHorizon 2020 [6]のもとで「iBorderCtrl(Intelligent Portable Border Control System)」と呼ばれる研究プロジェクトが、450万ユーロの助成金を獲得した。その目的は、EU非加盟国の国民を選別する自動国境管理システムの開発であり、実際にハンガリーやギリシャ、ラトビアなどいくつかの国の国境検問所で6ヶ月間の実証が行われた。

iBorderCtrl[7]

 簡単に言うと、EUへの入国者に、事前にウェブカメラを通してAIアバター国境審査官が質問することで、「欺瞞の生体指標(バイオマーカー)」、つまり嘘をつくときの表情や微細な顔の動きといった38の項目を分析するシステムである。嘘発見器にかけられると思うとイメージしやすい。

 具体的には、渡航前に個人情報、渡航文書、車両情報などを自宅で登録し、その場で男性警察官を模したグラフィック・アバターによる短いインタビューを受ける。

あなたの国籍と旅行の目的はなんですか

あなたは、シェンゲン圏にどのぐらい滞在しますか

あなたのスーツケースを開けて中身を見たら、あなたが嘘を言っていないと確かめられますか

 質問に答えている間に、AIは対象者のノートパソコンのカメラを通じて、表情の変化や目の動きに嘘を示すサインが表れていないかを検査する。アバターの質問や態度は、入国者の発言から算出された疑惑の度合いによって変化し、その結果は、スコア化され、QRコードに記録される(Everuss, 2024: 1)。インタビューが終わると対象者はQRコードを受け取り、国境で提示するという仕組みであった。

 結論を言うと、このプロジェクトは倫理的・科学的妥当性に懸念が示され実用化されることはなかった。iBorderCtrlは国境管理のデジタル化の一つの例にすぎないが、似た取り組みは現在も世界各地で行われている。

パノプティコンからバノプティコンへ

 AIアバターや背後にいる管理者からの「見えざるまなざし」を意識して、表情をつくり、言葉を選び、身体的な動作を決定する「まなざされる」人がいる。それは、権力によって日常の延長線上に国境が埋め込まれることにほかならない。

 国境のデジタル化と管理の日常化・身体化で思い浮かぶのは、「パノプティコン(pan-opticon)」である。哲学者・ミシェル・フーコーは、ジェレミー・ベンサムが考案したとされる監獄――中心に看守がいる監視塔を設置し、その周りに監房を円状に配置することで少人数の看守が監房を監視できるようにした――に、規律訓練を通じて監視のまなざしを内面化させる近代権力の在り方を見出し、パノプティコンと呼んだ。

 パノプティコンの特徴は、「全般(pan)」の「監視(opticon)」にあったが、国境を超える人口移動が増え続け、移動する者すべてを監視することが困難な現代社会では、新たな監視の形が求められる(森・エレン, 2014: 237)。

 政治学者のディディエ・ビゴ(Didier Bigo)は、パノプティコンとは異なる現代的な安全保障的な監視の形を見いだしている。移動する人びとを潜在的な脅威と結びつけ、「禁令・追放(ban)」の対象として「監視(opticon)」する権力を「バノプティコン(ban-opticon/ 監視追放複合装置)」と名付けた。それは、アルゴリズム、デジタル・テクノロジー、無数のデータと結びついた監視権力であり、「歓迎されざる人」「疑わしい人」「待たせてよい人」「戻してよい人」を事前に、効率的に排除しようとする[8]

 バノプティコンがもたらすのは、国境を超えて移動する人はもちろんのこと、国内外において移動していない人びとをも日常的・身体的に支配し、管理しようとする権力がいたるところに存在する、新たな監視社会である。バノプティコン時代においては、すべての移動が記録され、データ化され、個人情報と結びつけられる。

人が旅をしたければ、あるいは権利として「移動の自由」を理解したければ、この自由を保証するため、個人化とコントロールを結びつける方法でアイデンティティを証明しなければならない。(Lyon 2009; ロンゴ 2020)

 国境のデジタル化とバノプティコンは、戦場における「上空からのまなざし」と似ている。

 ドローンは、遠く離れた場所から地上の人間を見下ろし、追跡し、狙いを定める。国境管理におけるAIアバター面接官、顔認証アプリ、声紋分析、渡航前のオンライン認証は、兵器ではない。しかし、それもまた、移動する人びとを観察し、管理して、追跡して、ときに制止・排除・送還へと接続するまなざしである。

 いま、私たちが目にしているのは、観光の時代と戦争の時代が重なり合う世界である。まなざしは束となり、上からも、外からも、内からも人びとを捉えて離さない。いま、この瞬間もどこかで、移動する人びとは選別されつづけている。そして、この文章を書いている私も、読んでいるあなたも、監視と選別の対象に含まれているのである。

[1] 空爆以前にも砲撃や攻城戦のように、離れた場所から攻撃する技術自体は存在した。しかし、空爆は、地上にいる人びとを上空から捉えて攻撃するという、垂直的な暴力の非対称性を大規模に成立させた点に大きな変化がある。

[2]ロシア-ウクライナ戦争では、双方が兵士や武器の不足に悩まされており、安価なドローンを使って攻撃する機会が増えている。その際、ロシアはドローンの操作用に、市場で売られているゲームコントローラーを輸入している。対してウクライナ側(西側諸国)も、ドローンオペレーターたちはXboxのコントローラーを使って迎撃ドローンを操縦している。 日本経済新聞(2025.2.25)「EU、対ロ制裁でゲームコントローラー規制 無人機を操作」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR243M30U5A220C2000000/. Jake Epstein(2025.11.21)Western soldiers are turning to Xbox controllers to fight a new kind of drone war. The pilots love them., Business Insider.  https://www.businessinsider.com/western-soldiers-use-xbox-controllers-interceptor-drones-pilots-love-them-2025-11

[3]https://www.researchgate.net/profile/ElisabethVallet/publication/236612063_The_Re_Building_of_the_Wall_in_International_Relations/links/56df1a2308ae979addef511d/The-Re-Building-of-the-Wall-in-International-Relations.pdf

[4] 世界人権宣言 13条「すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する。

すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する。」

[5] 国境管理テクノロジーの強化と抵抗が世界規模で進む──特集「THE WIRED WORLD IN 2026」https://wired.jp/article/tech-will-enable-harsher-migration-policies/

[6] 2014年~2020年の7年間にわたる総額800億ユーロ規模のEU研究・イノベーション枠組み計画。

[7] https://iborderctrl.no/

[8] ただし、国境を超える移動をめぐる管理、監視、暴力のすべてをAIやデジタル技術のせいにすることはできない。『国境廃絶論』の著者、グレイシー・メイ・ブラッドリーとルーク・デ・ノローニャは次のように指摘する。「いぜんとして後期資本主義の不均等な地理学であり、人種化されたグローバルな不平等であり、暴力的なネイティヴ主義であり、ジェンダーとセクシュアリティについての制限的な諸観念であり、〔新自由主義の〕「法と秩序」という懲罰的な政策であり、そして軍国主義と戦争である。これら全ては、技術的解決を欲する政府の熱狂と、強大なテック企業および軍事企業の利潤追求とによって駆り立てられた新興テクノロジーという文脈において、新たなやり方で結びつけられている」

参考文献

Andreas, P. (2000)The Wall after the Wall, Andreas, P. and Snyder , T eds, The Wall around the West. State Borders and Immigration Controls in North America and Europe , Oxford : Rowman & Littlefield, 1-11.

Arendt, H.(1968)Men in Dark Times, New York: Harcourt Brace Jovanovich.(=阿部齊訳, 『暗い時代の人々』筑摩書房).

Bigo, D.(2008)Globalized (In)Security: The Field and the Ban-Opticon, Didier Bigo and Anastassia Tsoukala, eds., Terror, Insecurity and Liberty: Illiberal Practices of Liberal Regimes after 9/11, Routledge, 10–48.

Bradley, G. M., L. de Noronha(2022)Against Borders: The Case for Abolition, London: Verso.(=2025, 梁英聖・柏崎正憲訳『国境廃絶論――入管化する社会と希望の方法』岩波書店)

Cunningham, H., and Heyman, J. (2004) Introduction: Mobilities and enclosures at borders, Identities: Global Studies in Culture and Power, 11 (3): 289–302.

Everuss, L.(2024)Digital Mobilities and Smart Borders: How Digital Technologies Transform Migration and Sovereign Borders, De Gruyter.

Longo, M.(2018)The Politics of Borders: Sovereignty, Security, and the Citizen after 9/11, Cambridge University Press.(=2020, 庄司克宏監訳『国境の思想――ビッグデータ時代の主権・セキュリティ・市民』岩波書店).

Lyon, D.(2009)Identifying Citizens: ID Cards as Surveillance, Cambridge, UK: Polity Press.

Mezzadra, S., and Stierl, M. (2020) What happens to freedom of movement during a pandemic?, Open Democracy. https://www.opendemocracy.net/en/what-happens-freedom-movement-during-pandemic/

Sassen, S. (2013) When territory deborders territoriality. Territory, Politics, Governance, 1 (1): 21–45.

Sheller, M. (2021) Advanced Introduction to Mobilities, Edward Elgar.

Vallet, É., and David, C. P.(2012)Introduction: The (Re)Building of the Wall in International Relations, Journal of Borderlands Studies, 27(2): 111–119.

東浩紀(2017)『ゲンロン0 観光客の哲学』株式会社ゲンロン.

川久保文紀(2019)「国境の壁とテイコポリティクス」『現代思想』47(5): 112-123.

瀧川裕英(2022)「帰属でなく移動を——移動と帰属の規範理論」広渡清吾・大西楠テア編『移動と帰属の法理論——変容するアイデンティティ』岩波書店.

堀井里子(2024)「渡航管理をめぐる政治――欧州渡航情報認証制度(ETIAS)を事例に」『年報政治学』2024-Ⅱ: 38-57.

森千香子・エレン・ルバイ(2014)『国境政策のパラドクス』勁草書房.

吉見俊哉(2022)『空爆論――メディアと戦争』岩波書店.


シェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!