第1回 それでもなお小説家であり続けること――大江健三郎とフランス文学(前編)

 みなさん、こんにちは。僕は東大を早期退職した人間ですけれども、今日、図々しくもまた戻ってまいりました。こんな素晴らしい機会を与えていただいたことに心から感謝もうしあげます。大江健三郎文庫の発のために力を尽くしてこられた文学部の先生方、スタッフの皆様に感謝と敬意を表したいと思います。

 僕は大江健三郎さんがお話しになるのを生で聞く機会に何度か恵まれて、その度に忘れがたい印象を受けました。内容の細かいところまで覚えているわけではないのですが、何か大江さんという存在の発する熱量が迫ってくるような感動を覚えたものです。

 大江健三郎文庫が東京大学文学部に置かれることは、我々にとっては大変深い喜びを与えてくれる出来事です。なぜかというと、その生涯全体を眺め渡して、大江さんの後期の作品にでてくる言葉で言えば、ご自身の「根拠地」のひとつが最終的には東大文学部だった、そう大江さんがお考えになったのかもしれないと思うからなんですね。だからこそ、東大にこれだけ貴重な資料を寄託なさったのかもしれない。そのご遺志を実現して下さったご遺族に本当に感謝したいと思います。

熱気に満ちた講演会場

 とはいえ、日本人はひょっとすると出身大学にこだわりすぎなのかもしれないですよね。たかだか 4、5年のご縁でしかないわけです。大江さんの場合、5年間東京大学に籍を置いて、フランス文学科にいらしたのは3年間。長い人生のなかでそれだけの期間にすぎなかった。ところがその後、東京大学は大江さんに何度もお世話になってきた。そのことは忘れるべきではないだろうと思うのです。

 僕個人が関わった催しとしては、ふたつ大きいものがありました。

 ひとつは、文学部主催の講演会で、これは東大創立130周年記念事業というものものしいものでした。安田講堂において2007年5月18日に行われています。大江さんの講演の内容は、文芸誌『すばる』2007年8月号に、「知識人となるために」というタイトルで掲載されています。とにかく、これだけ大勢の人たちにアピールできる催しが文学部で開けるんだ、という驚きを覚えたほどの超満員だったんですね。ネットにかすかな痕跡としてあがっている写真を見ると、ぎっしり満員。二階席も埋まっていた記憶があります。講堂内は、大江さんの話を聞きたいというみなさんの熱気に包まれていました。

 この日、僕たち教師が壇上に並びまして、大江さんのお話しが終わった後にそれぞれ何か質問をさせていただくということだったんです。中国文学の藤井省三先生、国文学の安藤宏先生、イギリス文学の阿部公彦先生、現代文芸論のテッド・グーセン先生、それに仏文の僕がおりました。本郷にやってきたばっかりで右も左もわからないのに、いきなりステージに上らされた気分でした。今写真を見ますと、みんな普段とはまったく違う真剣な面持ちですね。(会場笑)。いかにも緊張しきった顔をしています。それだけ大江さんの放っていたパワーを間近に感じていたんだと思います。

 先立つ2002年には、東大の駒場キャンパスで「言語態とは何か」というシンポジウムが開催されました。こちらは総合文化研究科言語情報科学専攻の設立10周年記念で、大江さんを囲んで、駒場の同級生だった山内久明先生、山田広昭先生が登壇されました。小森陽一先生の肝いりで実現した企画だったと思います。このときも、僕は一橋大学から駒場に移ってまだ日が浅いのに、右も左もわからないまま壇上に上がった記憶があります。今回ちょっと探した限りでは、このシンポジウムに関してはほとんど何の記録も見出せませんでしたが、唯一、山田先生が駒場の年報(『駒場2002 』)にこんなふうに書いておられます。

ゲストに作家の大江健三郎氏を招いて11月2日午後3時から行われた。会場とした1332番教室は、500名近くの収容人数を誇るが、学外からの来聴者多数を含む聴衆で満員となり、立ち見の人も散見されるなか、会場は開始早々から熱気に満ちたものとなった。

 文学部での催しの時と同じなんですよね。大江さんを見たい、話を聴きたいという人たちがこれだけ集まってくるんだ、ということを間近で感じとった、素晴らしい機会でした。こういうふうに、東大は「〇〇周年」というたびに、大江さんを引っ張り出してはその神通力に頼っていたということがわかります。

東大生時代の大江健三郎

 では大江さんにとって東大での学生時代というのはどうだったのか。大江さんが愛媛から東京に出ていらして、東大にお入りになったのが1954年。2年後に仏文に進学し、仏文科の学生のときに芥川賞を受賞されました。マスコミは大騒ぎだったでしょうし、原稿依頼も殺到したと思われます。そのなかで翌年にはきちんと卒業論文をお書きになって仏文を卒業なさり、そこからはずっと筆一本で生きてこられた。なお、卒業論文は「サルトルの小説におけるイメージについて」という題名であったことが知られています。サルトルについては後ほど触れたいと思います。

 学生時代に大江さんは一体何を学んだかということをより具体的にたどってみたいのですが、これについては、大江さんが書かれた名エッセイの数々があります。たとえばこんな風にお書きになっています。これは駒場にお入りになったときでしょうか。

まったくフランス語を読むよりほかなにもしない二年間だった 

大江さんが、東大仏文で教えていたフランス文学者の渡辺一夫の著者を高校の頃に読んで感銘を受け、それが東大進学の動機となったことはよく知られているとおりです。いよいよ仏文に進学して、渡辺先生の授業に出るようになったときのことをこう書いています(以下、『私という小説家の作り方』新潮文庫)。

私はいわば魂の喜びをもとめて渡辺教授の教室に出ていたような気がする。

フランス文学科の学生でいることは喜びにみちていて(……)

 少し引用するだけで、「喜び」という言葉がたちまち2回も出てくる。皆さんどう思われるでしょうか。とりわけ現在の、東京大学文学部の学生の皆さんにうかがいたいと思いますが、これは大江健三郎だからこそでしょうか。僕は実はそうは思わないんですね。文学部というのは本当に野放しのところで、何もしたくなければ何もしなくてすむ……と言っちゃうと悪いかもしれませんけれど……そういう感覚をもつ人も多いかもしれません。しかし、憧れをもって進学し、これがやりたいんだと願ってやってきた人間にとってはこんなに嬉しい場所はないですよね。僕も、こういう美しい表現はできなくても自分にとってのフランス文学科もこういうところだったと言いたい気持ちはあります。

 それから、尾崎真理子さんが聞き手をつとめた本『大江健三郎 作家自身を語る』(新潮文庫)に、大江さんのこういう発言があります。

渡辺一夫さんはもとより、杉捷夫、小林正、井上究一郎、川口篤、山田𣝣、朝倉季雄…… 私は全部の授業に出て、みんな優れた先生たちだと思った。どの方にも自分を比較することはできない、と……

 これはいかがでしょうか。渡辺一夫一点張りかと思うとそうではない、どの先生も素晴らしい先生だったと言っているわけです。しかも、「どの方にも自分を比較することはできない」。これは意外と東大生にはなかなか言えないセリフじゃないでしょうか。たいていの学生は、教師ってこんなもんかという顔をして授業を聞いている気がしないでもない。大江さんのように、誰よりも勉強して誰よりも先生を敬い、しかも謙虚であるというのは、文学部の理想の学生ではないでしょうか(笑)。

 さて、大江さんが何を勉強したかですが、ひとことで言うと原典を読む、この姿勢に尽きると思います。エッセイ『読む人間』に、「(大学)一年の秋にはもうフロベールの短篇などを習っていた」(『読む人間』集英社文庫)とあります。これはフランス語の初級文法をざっとやったあと、すぐフロベールの短編を読んだということ。今ではなかなか難しいかもしれませんね。

(1年の学年末の休みに)四国の森のなかに帰って、サルトルのBaudelaireという難しい本を読みました。それを四苦八苦して読み終えた後で、自由な時間が1週間できたので、小説を書くことにしました。それが『奇妙な仕事』という短篇です(前掲書、適宜引用 )。

 これもじつに立派としか言いようがない。サルトルの『ボードレール』を、フランス語をやって1年で自力で読むのは大変だと思います。よっぽどのやる気がないとたちまち途中で放り出すことになるでしょう。このころの日課として大江さんはサルトルの原典を10ページずつ読んでいたんですね。フランス語をやってまだ1年の段階だと、10ページというとおそらく辞書を100回もひかなければならないでしょう。それだけの苦労を乗り越えてもなんとしても読みたいんだという、その気持ちが、大江さんの学生としてのパッションを支えていたことになります。「サルトル的泥沼に潜りこんでの日々」です(『厳粛な綱渡り』文藝春秋)。

 時期的には2007年に出た『読む人間』より少し前ですが、東大の広報誌『淡青』(2006年1月号)で当時の古田元夫副学長と大江さんが対談をなさっていて、そちらでは1日に50ページくらい読むことにしたとおっしゃっています。ちょっと盛っているんじゃないか?と思われるかもしれないですけれども、10ページ読んでいるうちにだんだん体力がついてきて20ページ、30ページ、今日は50ページ読んでしまった、ということは大いにありうると思うんです。

「読む人間」として

 大江さんは徹底的に、まず「読む人」でした。読む人間としての体力を文学部時代こうして培ったことが、「書く人間」としての体力にそのまま転換されていったかのように思われます。ただ、「自由な時間が一週間できたので、小説を書くことにしました。それが『奇妙な仕事』という短篇です」って言われると、あまりに凄すぎて、こちらはしゅんとしてしまいますけれども(笑)。

 より広いフランス文学とのつきあいという点では、大江さんはどういう言葉を残していらっしゃるのか見てみましょう。

 僕が探した限りでは、フランス文学と出会った最初の記憶が、エッセイ集『小説の経験』に記されています。中学の修学旅行で九州に出かけた際、ヴィクトル・ユゴーの『死刑囚最後の日』を買って読んで、感銘を受けたとお書きになっている(『小説の経験』朝日新聞社)。

 変な話だなと思うのが普通の感覚かもしれませんね。どうして愛媛の中学生が九州に修学旅行に行って、ヴィクトル・ユゴーの本を買わなければならないんだ?と。でも僕らの世代ではけっこう腑に落ちる話です。ふだんはお小遣いがないのに、修学旅行だとけっこう持たせてもらえる。大江少年はおそらくその貴重なお小遣いを即座に書籍購入にあてたんだと思うんですね。このときすでにして「読む人間」としてのスタートを切っていたということがわかります。

 高校に入ると、徹底的な読書の日々が始まります。とりわけ伊丹十三という素晴らしい友を得て、彼の手ほどきでランボーをフランス語も参照しながら読んだという経験が、『 取り替え子チェンジリング 』のなかに盛り込まれています。

 それから、『小説の経験』では、「大学に入る前後、アルベール・カミュの『ギロチン』というフランスの死刑廃止運動につながる本を読んだことを思うと、『死刑囚最後の日』はしっかりと印象にきざまれていたわけです」とお書きになっている。つまり、中学、高校、大学と、「読む人間」としてのありようが緊密につながっているんです。

カミュの存在

 さて、つい読み飛ばしそうですけれど、カミュの『ギロチン』というところに僕はおやっと思いました。カミュは有名作家ですし、文学部に来る人間ならたいていは読んでいます。しかしそれは『異邦人』ですね。とりわけフランス語をやった人間にとって、文法を終わって何を読もうかというと、一般にはふたつしか選択はないわけです。『星の王子さま』か『異邦人』です。それから翻訳で『ペスト』を読んだという人も多いでしょう。ここまでは当たり前の話です。会場の皆さん、カミュの『ギロチン』を読んだことがある人は手を挙げてください……なんて言いませんけれど、それらの作品に比べて『ギロチン』が決してみんなの親しんできた作品ではないということは言えると思います。お恥ずかしい話、僕も斜め読みした程度。ですので、大学に入る前後で『ギロチン』を読んだということは、要するにカミュの作品はほぼ全部読んでいたのではないかと推察されるわけなのです。

 このことは僕にとって発見でした。なぜかというと、大江さんの文章にカミュという人名はほとんど出てこないからです。サルトルの名前はしょっちゅう、特に初期の頃はよく出ていますけれども、それと並び称するかたちではほとんど出てこない。それが非常に興味をひきます。「でも、カミュだってしっかり読んでいましたよね? 大江さん」って言いたくなるわけなんです。

 仏文にはいってからの大江さんは、授業では古典から現代小説までを読み、授業以外でもラシーヌやコルネイユの古典劇からはじまって、興味の赴くまま読んでいらっしゃった。ピエール・ガスカールという、当時最先端の勢いよく小説を書いていた作家の作品も愛読していた。

 そしてなんといってもサルトルです。小谷野敦さんのよく調べの行き届いた著書に、「大江はパスカルとカミュに熱中し、卒論をどちらにするか迷ったというが、サルトルの『自由への道』を読んでサルトルに傾いた」という一節があります(『江藤淳と大江健三郎 』ちくま文庫)。パスカルについては、東大の駒場キャンパスに前田陽一先生という世界的な権威がいらしたし、大江さんは先生の思い出も書いておられるので、前田先生の影響はあったと思うのですが。でもまあ、サルトルかカミュかという選択肢は、当時の若者としては普通なのかもしれない。結局、大江さんはサルトルを選んだ。

 そして芥川賞を受賞し、突然ものすごく忙しい日々が始まるわけです。そんななかで卒論をお出しになる。その卒論についてよく知られているエピソードが『定義集』にでてきます。

きみの卒論に、Bをつけました、と先生は愉快そうにいわれたものです。

 と、大江さんはつづっています(『定義集』朝日文庫 )。先生というのは渡辺一夫先生ですね。そういうことを愉快そうに言う先生は、本当にいい先生なんだろうか?という気がしないでもないんですけれども(笑)、それくらいの信頼関係が二人にあったということでしょうか。いずれにせよ、多忙ななか卒論まで書いて、作家としての人生が始まります。

 (後編へ続く)

(2023年9月1日、東京大学で開催された大江健三郎文庫発足記念式典の特別講演「大江文学とフランス文学」をタイトルは変更のうえ採録した。協力:東京大学大学院人文社会系研究科・文学部。大江健三郎文庫開設については大江健三郎文庫の発足 – 教養学部報 – 教養学部報、および公式サイト:大江健三郎文庫に詳しい)

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