都市の解放感
「都市の空気は自由にする(Stadtluft macht frei)」、という格言を聞いたことがあるだろうか。
その昔、中世ヨーロッパでは、農民は土地に縛られ、移動の自由を持たなかった。しかし、都市に逃げて一定の時間(一般的には1年と1日)が過ぎれば、自由の身になることができた。「都市の空気は自由にする」は、この慣習を意味する言葉である。都市住民は、農民が服従し、隷属し、租税を負担していた相手である貴族や僧侶などには通常支配されておらず、自治と自由をもっていた(コッカ, 2008=2009: 76-77)。
ただし、この格言をそのまま受け入れてしまうのは 些 か危うい。なぜなら、当時の都市の自由とは、一定以上の身分や階級に限定された自由であったとも言われているからだ。修業中の職人や徒弟、奉公人などの移動は、きびしい制約の下にあった。また、都市に逃げてきても、結局は元の領主が解放しなければ農奴の身分は変わらなかった[1]。
都市には農村よりも自由があった。しかし、それは全面的な自由ではなく、階級や身分、その他の属性によって管理・制限された自由だったというわけである。そして、この制限の影響を強く受けていたのが、女性たちであった。中世と一括りにして語ることには慎重でなければならないが、女性たちの活動は多彩で、確固とした地位を築いていた一方で、しばしば立証されているように下層階級の構成比は女性のほうがはるかに高く、女性が市民として認められるかどうかはかなりの程度、その土地の慣習に左右されていた(エンネン, 1984)。
では、現代の都市ではどうだろうか。中世のような、あからさまな身分差や女性への露骨な制約は、少なくとも表面上は後退している。あえて、農村と都市という二文法を用いるのならば、「都市にこそ女の場所がある(Wekerle, 1984)」という感覚に、深くうなずく人も多いだろう。都市は、人びとを拘束する共同体的規範をほどき、逃れる余白を与える。ドイツの社会学者ゲオルク・ジンメル(1903)が、「都市の共同体的拘束からの解放は他ならぬ自己の個性的表現を可能にする」と論じたように、どこか匿名的で、互いに無関心で、ときに孤独ですらある都市の空気に、自由の気配を感じている人は多いだろう。
未だに存在する都市における移動経験の障壁
しかし同時に、都市における女性の経験には、いまだに物理的、社会的、経済的、政治的なさまざまな障壁が存在しており、その日常生活は根深くジェンダー的に(もちろんそれだけではないが)規定されている。そして、数ある都市とジェンダーをめぐる問題のなかで、中心にあるのが、移動の問題というわけである。
このことを示すように、世界銀行が2020年に発行したHandbook for Gender-Inclusive Urban Planning and Designを開くと、ジェンダーと関連する都市の6つの課題領域に「モビリティ」が挙げられている。
こうした移動をめぐる調査結果、統計、経験的事実は、世界にも、そして日本にも数多くある。たとえば、世界的にみて男性は自家用車での移動が多く、徒歩や公共交通機関によって移動しているのは大抵、女性の方が多い(Perez, 2019=2020)。車は免許がなければ運転できないが、免許保有率にも男性85.3%、女性63.5%と大きな差がある(松行・外山, 2024)。免許があっても自分の車がなければ出かけられないが[2]、男性の免許保有者の48.0%がほぼ自分専用の車を所有しているのに対して、女性ではその割合は28.0%に留まる(同上)。依然として自動車中心主義的な現代の都市において、速く、自由な移動の機会を相対的に喪失させられている女性の姿が浮かび上がってくるだろう。
都市の満員電車
では、電車であれば男女平等に、安心安全な移動が実現できているだろうか。残念ながら、そんなこともない。東京都が一都三県で実施した痴漢被害に関する調査によれば、女性の58.3%、男性の15.9%が痴漢に遭った経験がある。そして、その被害場所は「電車内」が9割近くを占めていた(東京都, 2025)。なお、この問題はLGBTQIA+の人々にも大きな影響を与えている。車内や駅、停留所は、差別や偏見、ハラスメントを受けたら、長引きやすく逃げにくい環境である。さらに、被害を回避する行動は、ときに公共交通の利用を控えたり、都市を訪れること自体を躊躇したりという、アクセスの不平等へとつながりかねない(Lubitow et al 2020; Shakibaei and Vorobjovas-Pinta 2024)。
都市を象徴する移動手段である電車は、すぐに逃げることが難しい閉鎖的で不動化された公共空間である。しかも、都市の鉄道は、安心感や快適さよりも「生産性」や「効率性」を優先して運行されやすい。とくに日本では、その傾向が際立つ。わずかな遅れすら許されない雰囲気があり、1分でも遅れれば謝罪のアナウンスするのを聞き、海外からの来訪者は驚く。数百万、数千万の人びとを運ぶ都市において、安心感や快適さを第一に掲げる余裕はない。こうして不可避的に生じるのが、乗客同士の身体が空間のなかで接触しあう状況なのである。
今日の女性たちは、昔よりも都市空間・公共空間を動きまわれるようになってはいるが(もちろん社会階層や人種には左右される)、いまだに「認められた」空間の外をひとりで出歩くのは危険に身を晒すことであり、望まぬ干渉や暴力の脅威を伴う(カーン, 2019)。ただし、忘れてはならないのは、男性であれば望まぬ干渉や暴力の脅威がないかと言えば、そんなこともないという点だ。前述の通り、痴漢被害にあった経験率は男性でもおよそ16%という実態がある。
ジェンダーの視点から都市と移動を考えるときに出発点となるのは、あらゆる人びとを包摂し、誰一人として排除しない都市を構想することである。さらに、そこに生きる人びとの経験が、ジェンダー、階層、年齢、国籍、障害の有無といった複数の属性によって異なることにも、丁寧に向き合う必要がある[3]。
ケア・モビリティと女性の移動パターン
興味深いことに、男性と女性では移動手段が異なるだけでなく、移動の「理由」にも違いが現れる。往々にして、男性の移動パターンは比較的単純で、朝夕の通勤や休日のレジャー、買い物などが中心であるのに対して、女性の移動パターンはとても複雑であることが知られている。
なぜ、そんなことが生じるのだろうか。この背景には、女性が世界における無償労働の75%を担い、その過程で生じる「ケアのための/を担う移動(ケア・モビリティ)」の多くが女性の役割になっているという事実がある。ケア・モビリティは、他者をケアし、生活を支えるために行われる移動――多くの場合、無償で評価されづらい移動――を意味する。
一日の流れを想像してみよう。ゴミ出し、子どもの送迎、高齢の親族の通院補助、帰宅途中の買い物、今度は子どもの習い事の送迎。これは私が母に見てきた姿だが、こうしたケア・モビリティは多くの場合、複数の短距離移動を組み合わせないと成立しない。つまり、単純で、反復的な移動だけでは日常のケアは成立しないのである。そのため、図1のように、男性の移動パターンに対して女性の移動パターンは複雑化し、それは鎖のように連なるため「トリップ・チェイン(trip chaining)」と呼ばれている。

図1 男女の移動パターン[4]
1970年代にフランスの思想家 アンリ・ルフェーヴルが提示した「空間の生産」(Lefebvre, 1974)という議論は、都市とジェンダーの関係を考えるうえで重要な示唆を与えてくれる。
「空間の生産」論は、都市空間を単なる物理的な入れ物ではなく、社会関係によって生産されるものとして再定義した。「生産」とは、経済的過程にとどまらず、資本主義の下で、政府、資本、専門知、日常実践などが交錯しながら空間を構築していく社会的過程を意味する。このとき、都市計画家やプランナーが中心となって構想する空間の表象は、空間を概念化し、秩序づけ、管理する支配的機能として作用することになる。
ルフェーヴルの議論を踏まえると、都市を形づくる都市計画や交通計画は、中立的な技術ではなく、何を可視化し、何を標準化し、どのような生活や移動を一般的・標準的なものとして認識し、配置するのかをめぐる一種の権力作用として理解できる。さらに、このような空間の編成は、都市生活のなかにジェンダー規範を刻み込み、ジェンダー化された空間経験を再生産していくものとして捉えることもできる(原口, 2024)。
都市の計画/デザイン過程の多様性を拡大する
では一体、ジェンダー不平等な都市空間は、どうすればより公正で平等なものへと変えられるのだろうか。これは簡単な問いではないが、1冊の本が考えるための糸口を与えてくれる。カナダ在住で都市開発とジェンダー、人種等の関わりについて研究を行ってきた地理学者 レスリー・カーンの著書『フェミニスト・シティ』である。このなかでカーンは、次のように書いている。
男性にとってこうした障壁の多くはほとんど自分たちの経験には登場しないものであり、それゆえに彼らの目には見えていない。このことは、いまだに男性が大半を占める都市の意思決定者が、自分たちの選択が女性に及ぼす影響を考慮せず、さらには知りもせずに方針を決めていることを意味する。これは経済政策から住宅のデザイン、学校の計画、バスの座席配置、警察行政、果ては雪掻きまであらゆる範囲に及ぶ。つまり都市は男性の経験を「標準」とし、伝統的な男性のジェンダーロールを支え、助長するものとして組み立てられてきたということだ。そこでは都市が女性にどんな障壁を押しつけているか顧みられることはなく、女性が街の日常生活で経験することも無視される。(カーン, 2019: 13)
現在の状況を変えていくためにはいくつかの方法があるが、一つシンプルな改善策がある。それは、都市の計画設計、意思決定に関わる顔ぶれの多様性を拡大していくことである。
残念ながら、日本はジェンダー先進国に比べて、政治や経済の分野で意思決定層に女性が少ない。これは、都市の将来あるべき姿を描き、まちづくりのルールを定める都市計画をめぐっても当てはまり、都市計画家・デザイナーの多くは男性であるため、結果として、都市は男性の視点で計画・デザインされている(松行, 2024)。しかも、その偏りは個々人の無関心だけでなく、政策・計画分野そのものが差異を見えにくくする制度的な構造に支えられている[5]。
一例として、都市計画を策定する際に設置される、学識経験者や議員、住民代表などが参加する審議会についてみてみよう。今回、全国に20ある指定都市の都市計画審議会委員に占める女性委員の割合を調べたところ、図2のような実態が浮かび上がってきた。

図2 指定都市の都市計画審議会委員に占める女性委員の割合
20都市の委員数全体443人に占める女性委員の人数は131人、割合は29.6%と3割にも満たない。女性委員の割合が半数を超えているのは神戸市だけであり、最も低い広島市では女性委員の割合は、たった15%である。歴史的にみれば、都市計画審議委員に限らず各種委員に占める女性の割合は着実に増えているが[6]、それでも依然として、都市という空間は男性視点が中心的なまま再生産され続けていることがわかるだろう。
格差を見出す視点に潜む偏り
ここまでの文章を読んで、「男性であっても、女性の移動について考え、問題提起することはできる」と思うかもしれない。たしかに、その通りである。私たちは、他者の困難や苦労を想像することができる。しかし、「男女の間に移動の自由度をめぐる格差が存在する」という認識それ自体に、すでにジェンダー・ギャップがあるとしたら?
図3は、この点を明らかにした筆者の調査結果である[7]。「男女間で移動の自由度に差がある」に同意する割合は、男性では31.2%にとどまるのに対し、女性では47.9%にのぼる。つまり、移動をめぐる不平等は、現実の経験として存在しているだけでなく、その不平等を「問題として見いだす認識と同意/不同意」自体にも偏りがあるのである。このことから、女性の移動をめぐる課題を十分に捉えるためには、男性が一方的に語るだけでは不十分であり、女性自身の当事者性を有する経験や認識を出発点に据えながら議論を組み立てていく必要があると言える。このことは、ジェンダーに限らず、他の属性についても同様に当てはまるだろう。悲しいことに、特定の属性の人びとを積極的に排除しようとする意図がなくても、その経験や存在が計画の前提から外れるということはしばしば起きてしまう。

図3 「男女間で移動の自由度に差がある」への同意をめぐる調査結果
また、問題は委員やプランナー個人による関心の有無だけではない。都市と移動について研究する外山友里絵(2024)が言うように、女性の計画策定過程への参加の乏しさは、立案された計画が女性の生活実態やニーズを十分に反映しないことにつながり、その結果、住宅、雇用、安全、交通といった領域で必要とされる社会的支援や女性のニーズについて、プランナーの側が無知であり続けるという悪循環を生み出す可能性がある。
誰のための都市なのか
最後に、もう一度ルフェーヴルに登場してもらうこととしよう。ルフェーヴルは著作『空間の生産』のなかで、資本と国家の論理のもとで、空間が均質性を志向し、差異や特異性を排し、管理可能なものへと編成されていく過程を「抽象空間」と概念化した。抽象空間は、一見すると中立的に見えるが、実際には、それは権力と知の編成に基づく空間であり、既存の差異を消し去り、生活世界を把握可能な秩序へと還元しようとする。
他方で、ルフェーヴルは、そんな抽象空間とて差異を完全に消し去ることはできず、むしろ均質性を志向する都市の中にこそ、差異の都市空間への契機があるということも同時に示している。抽象空間が差異を抑え込もうとするからこそ、そこからこぼれ落ちる経験は、かえって日常生活の空間と移動をめぐる批判的検討の起点となる可能性があるというわけだ。
ルフェーヴル亡き後、この論点についてフェミニスト都市研究者たちは議論を積み重ねてきた。その結果、「都市への権利(Lefebvre, 1968)」をめぐる従来の議論は、家父長制的権力関係や、民族・文化・ジェンダーにかかわる排除の論点を十分に検討できておらず、そのために実践的視座を欠く傾向があったと言われている(Fenster, 2005)。
だからこそ、いま問われるべきなのは、抽象的に構想された都市の主体ではなく、都市でときに不安を抱えながらも移動する「具体的な身体の経験」である。歩道、地下道、駅、バス停、公衆トイレといった日常生活の空間においてこそ、抽象化され均質化された都市計画の論理から抜け落ちた差異が、もっとも鮮明に可視化される。
見えてくるのは、単なる不便の有無ではない。誰が安心して都市に身を置けるのか、誰がためらいなく都市を移動できるのかという、移動の権利の配分そのものの偏りである。平均的・標準的な通勤者を暗黙の前提としがちな都市計画においては、買い物、送迎、ベビーカーを押しての歩行、介助を伴う移動、徒歩移動、安全への配慮を要する移動は、周縁化されやすい。
では、周縁化された人びとの身体や日常生活の経験を反映した都市とは、どのようなものだろうか。おそらくだが、それは特定の市民に向けた配慮の設備を付け足し続けることではない。そうではなく、これまで暗黙の前提とされてきた、長距離で、高速で、直線的・単線的な移動者像そのものを問い直すことから始まるだろう。換言すれば、移動の複雑性を可視化し、それを議論の前提に据えることが一歩目となる(トリップ・チェインを思い出してみよう)[8]。
その意味で、移動と都市の議論を、道路や鉄道の整備をめぐる問題としてだけ考えるのは不十分である。日本ではなお「移動(モビリティ)=交通」と理解される場面が多いが、本連載で繰り返し述べてきたように、移動とは交通に限ったものではない。
ちょうどこの原稿を書いているときに、国はトイレの設置数や基準に関するガイドライン案をまとめた。そのなかで、女性の社会進出などによって外出先でのトイレ利用が増えるなか、頻繁に生じるトイレ行列という不平等を是正するために、利用者数が男女でほぼ同じ施設では女性用便器の数を男性以上とするべきといった方向性が示された。協議会の座長は会議を振り返り、「大量のデータを収集して、より俯瞰してトイレ待ちの問題を見ることができた」と語っている[9]。
細かなデータと検証の積み重ねが、複雑な移動を捉えることを可能にし、結果として移動の経験そのものを大きく左右していくことを象徴する出来事であった。誰が安心して待てるのか、誰が不当に待たされているのか、誰が遠回りを強いられているのか、誰のケア責任が見えない負担として押しつけられているのか。求められるのは、そうした問いを、計画、データ収集、評価の各段階で立て続けることである。
また、もし、都市計画やプランニングを担う人びとにそうした視点がないと気がついたならば、問いを立て、声を上げていくことも大切だ。実際、過去に女性たちは都市空間における移動の不平等を、個人の問題に留めること無く、調査可能で是正可能な課題として可視化し、問題として提起してきた。いくつか、その事例を紹介しよう。
1976年、ベルギーのブリュッセルで始まった「Take Back The Night March(夜を取り戻せ運動)」は、女性が恐れることなく自由に街を歩ける権利を強く主張する運動として世界中に波及した。この活動は、今日も世界のどこかで行われて続けている。
2010年代には、インドのムンバイでロイタリング(あてもなくぶらつく・うろうろする)の権利を主張する運動が広がった。きっかけは、『Why Loiter?: Women and Risk on Mumbai Streets』という一冊の書籍だった。本書のタイトルから生まれた「Why Loiter? Campaign」は、女性が公共空間で直面する不平等や制約を調査し、自由に動くことができる権利を要求することで、都市空間におけるジェンダーと移動の問題を可視化し、変革を促してきた。

図4 運動のもととなった本『Why Loiter?』Sameera Khan, SANKAR, Shilpa Phadke, Shilpa Ranade
さらに2026年3月、イギリスの政府系組織であるアクティブ・トラベル・イングランド(ATE)は、数多くの調査をもとにした、女性たちがより安全で自由に移動できるまちづくりのためのガイドラインを公表し、地方自治体に送付した。これは、女性たちが望むときにいつでも安心して歩いたり、車イスを利用したり、自転車に乗ったりできるよう、対話を具体的な変化へとつなげるための取り組みである[10]。
都市への権利は、万人に等しく開かれた抽象的な権利として存在するのではなく、身体性に根ざした日常生活の経験を通して、つねにジェンダー化された仕方で交渉され、実践されるものである。よって、都市と移動とジェンダーをめぐる議論で中心に置かれるべきなのは、都市への権利という大きな理念そのものというより、むしろそれが日常生活の空間のなかで、誰にどのように配分されているのかを問い続けることである(Beebeejaun 2017)。ジェンダーを問うことは、都市の周縁に追いやられてきた声を拾い上げることにとどまらない。それは「誰のための都市なのか」を、根本から問い直し、自由な都市の不自由を解消することへとつなげるものなのである。
注
[1] たとえば経済学者の望月清司は次のように語っている。「そう、都市の自治ったって、実は商人寡頭制。しばしば市外に土地を持って、農奴から搾取している市民なんだよ。『これがどうして自由都市だ』と。『都市の空気はひとを自由にする』(Stadtluft macht frei)という言葉があって、領主支配を嫌って逃げてきた農奴も市門をくぐった途端に自由民になる、なんて無責任なことを書いてる本が多い。市門をくぐったって農奴身分は変わらない。元の領主が『解放』しなけりゃね。市の役人が『人頭税』をかわりに取り立てて元の領主に渡していたくらいだ」 専修大学社会科学研究所(2011)「望月清司先生に聞く」『専修大学社会科学研究所月報』574.
[2] これに対して、「最近は、レンタカーやシェアカーがある」という声もあるだろう。とくに、シェアカーは自動車を保有しなくても車が使える自由さを格段に押し広げた。しかしカーシェアの利用率にもジェンダー・ギャップは潜んでいる。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの調査(2023)によれば、一般向けカーシェアの利用経験率は、男性20代で14.5%に対して女性20代では5.6%、男性30代で12.6%に対して女性30代は3.6%となっている。ちなみに、そもそもカーシェアサービスを知っているかどうか、つまり認知率も男性20代で33.1%に対して女性20代では18.4%と大きな差がある。
[3] 近年、このように複数の属性が交差することに目を向け、そこで生じる複合的な差別や抑圧を可視化する枠組みをインターセクショナリティと呼ぶ。
[4] EUMA2021, Mobility of Women; picture: Heinrich-Böll-Stiftung, https://genderdata.womenmobilize.org/why-gender-data-matters-a-brief-examination-of-the-gender-data-gap-in-transport/
[5] 日本の大学で都市計画などを学ぶ場合、理工系学部で都市計画や都市デザインを専攻するのが一般的だが、日本では理系に進学し、修了する女性の割合が極端に少ない。OECD(経済協力開発機構)が38の加盟国で実施している学習到達度調査「PISA」の結果によれば、高等教育機関の卒業・修了生に占める理系の女性割合は平均より低く、「工学・製造・建築」では16%であった。これは加盟38カ国中、最下位である。なお、PISA調査結果における「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」は、男女ともに安定的に世界トップレベルであるため、理系科目が苦手な訳では無い。進路やキャリア選択がジェンダー化されているのである。これが都市計画をめぐる偏りを生み出す制度的な構造の一つである。
[6] 国の委員会では、1975年に2.4%であった女性の割合は、2020年代に入り40%を超えるようになった(内閣府男女共同参画局, 2025)。
[7] N=3,000。男性=2,289、女性=711。調査はインターネットモニターを利用したWebアンケートにより、2024年11月に行った。移動の定義は、「観光や出張などの長距離移動、通勤通学や買い物など各種交通手段を利用した日常移動、移住や引っ越しなどの長期的移動といった、期間や距離を問わず空間的・地理的な移動すべてを含む」とした。この調査結果を用いて、性別と「男女間で移動をめぐる差はあると思うか」の回答分布との関連を検討するため、カイ二乗検定を行った。その結果、有意な関連が認められた(χ²(3)=85.15, p<.001)。分析結果から、女性は男性よりも、移動をめぐる男女差があると認識する傾向が強いと言える。
[8] ちなみに、今後は東京都を含む大都市であっても、人口減少や財政的制約、担い手不足のなかで、公共交通の縮小や公共施設の再編・撤退と無縁ではいられなくなる。すでに東京23区でも撤退や減便は生じ始めており、これまで地方や農山漁村の問題として議論されてきた移動格差の拡大が、都市においても別のかたちで表面化していく可能性がある。「都市だから移動の問題は無い/小さい」、という時代では、もはやないのである。
[9] https://digital.asahi.com/articles/ASV3F26MQV3FUTIL013M.html?ptoken=01KKK2BK769CMJ7Y2MXSTHTTGW
[10] https://www.gov.uk/government/news/nationwide-plans-announced-to-design-safer-streets-as-9-in-10-women-report-feeling-unsafe-walking-at-night
参考文献
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