転勤が嫌い(?)な若者たち
2025年某日、一件のメールが届いた。「転勤と移動について話を聞きたい」、大手新聞社に勤める記者の方からの連絡だった[1]。
さっそく取材を受けることになり、実際に会って趣旨を聞くと、背景にある事実を知った。連絡をくれた方は、同社で初めて「子どもを連れて地方へ転勤した女性」だったのだ。ほんの数年前の話である。
新聞記者は異動が多い職業の一つだ。なにせ、全国紙は国内外に数多くの拠点を持っている。しかしよくよく振り返ってみると、たまたまかもしれないが長野県で暮らしていた頃に出会った大手新聞社の記者さんは全員男性だった。
「転勤」という地理的・空間的な移動は、労働と移動、ジェンダーと移動を考えるうえで外せないキーワードである。この原稿を書いているのは2026年2月10日、そう、真冬に行われた衆議院選挙で、日本初の女性総理大臣が率いる自民党が歴史的大勝を収めた翌日だ。実はその数日前に、ジェンダーと転勤について扱った『ジェンダー公正な人事制度とはなにか』という本が出た。この本についてはのちほど触れることとするが、今後も同テーマの出版が続くようで、関心の高まりをひしひしと感じながら書いている。
余談だが、仕事の事情で居住地や活動拠点が動くのは、会社員の転勤だけではない。国会議員は、地方議会議員と異なり、一定期間以上の居住を求める要件が(地方議会ほど)厳格ではない。そのため、選挙区や比例代表では、全国どこからでも立候補できる。党の方針によって、急きょ別の地域で出馬する「落下傘候補」「刺客候補」、あるいは知名度を買われて擁立される「タレント候補」を、見聞きしたことがある人もいるだろう。
もちろんこれは企業の人事異動としての転勤とは制度も意味も異なる。だが、本人の希望よりも、組織の都合や職務上の要請によって移動が生じるという点では、同じ「仕事が動かす移動」の一形態だと言える。転勤をめぐる議論を考えるうえでも、まずは職業によって当然視される移動が社会の中にいくつも存在していることを押さえておきたい。
本題に戻ろう。転勤を考えるうえでは、複層的な属性の絡まりを一つひとつ解きほぐしていく必要がある。たとえば、世代。2025年は何かと「転勤嫌い」が注目を集めた1年だったが、そこで散見されたのは、「最近の若者は、転勤を嫌がるらしい」という趣旨の記事だった。
いくつか調査結果を見てみよう。ある人材紹介会社の調査によれば、若年層ほど転勤をきっかけに退職を考えた経験があるという。20代の転勤経験者のうち25%が実際に退職し、44%が退職を考えたことがある一方で、40代以上では退職に至った割合は12%、退職を考えた経験も28%にとどまっていた[2]。また、転勤は企業の選択にも影響を与える可能性がある。こちらの調査では、20%の給与の増額よりも転勤の有無のほうが応募意向に影響があるという結果が示されている[3]。
「移動の個人事化」と「新しい個人主義」
あらかじめ断っておくと、私は人事や労務の専門家ではない。ただ、移動の社会学を専門とする者として、転勤を分析するならば、そこには明らかに取り巻く社会構造の変化とそれに伴う個々人の価値観の変化がみてとれる。
ここで鍵となるのは、移動の自己決定志向の高まり、すなわち「移動の個人事化」にある。過去に行った移動に関する調査では、回答者の半数以上が「移動の自由をめぐる差は自己責任である」と考えていることが明らかになった(伊藤,2025)[4]。この結果自体はある程度予想通りだったが、転勤という移動との関連で考えてみると別の示唆がある。当然ながら、転勤は本質的に個人の移動の自由を阻害するものである。働く場所、そして住む場所を企業に決められるのだから。
社会学者のアンソニー・エリオットが提示した「新しい個人主義」の理論は、転勤を理解する糸口になる(Elliot and Lemert 2009; Elliot 2016)。現在、南オーストラリア大学で教授を務めるエリオット氏とは、立命館大学の国際シンポジウムで何度か会ったことがある。モビリティやAIなど、時代の変化をダイナミックな理論で捉えることに定評がある社会学者だ。この連載でたびたび登場する社会学者 ジョン・アーリとの共著『モバイル・ライブズ』は、日本語で読める移動の社会学入門書としておすすめの1冊だ。
「新しい個人主義」とは、流動化・加速化しつづける周辺環境への対応や、それを可能にする移動可能な生活様式への欲望、自己のあらゆる側面(キャリア、知識、経験など)を絶えず再創造し続けることなどを、個人がより一層求めるようになった/求めざるを得なくなったことを意味する概念である。
それは、①自己変革への執拗な強調、②即時の変化への果てしない渇望、③速度とダイナミズムへの魅了、④短期主義とエピソード性、というテーゼからなるものとして説明される(牧野, 2025: 585-586)。④の短期主義とエピソード性とは、キャリアや友人・恋愛・家族関係などが中長期的に安定したものから関係を取り結び続けることによってのみ存続するようになる中で、人々の人生が長期的に耐えうる物語ではなくなり、短期的なスパンで物語を書き換えられねばならなくなっている、もしくはその時々のエピソードの集積でしかなくなっていることを意味する(同上)。
これら4つの並びからも、新しい個人主義において移動が重要なキーワードであることは明らかである。即時性、速度、ダイナミズム、短期性、これらはいかに早く(速く)、自由な移動を実現するか、と切っても切り離せない。
かつて転勤は、企業と社員の長期的かつ強固な信頼関係を基盤に成立していた。それは、即時の変化や短期性とは真逆のものであり、「会社の言うことに従えば生涯安泰」という長期的な確信が(もちろん、過去も現在も一定以上の規模の企業に限った話ではあるが)、個人および家族の移動やキャリア形成を企業に委ねることを可能にしていた。
しかし、終身雇用という日本的雇用慣行が変化しつつある中で、新しい個人主義的性質を有する人々は、飛躍的な自己変革や自己成長と直接的・短期的に結びつかないようにみえる転勤に、無条件で応じる意義を見いだしにくくなっている。
グローバル化と競争的な文化は、人びとに「改善」「変容」「再創造」を常に求めてくる。その結果、メタモルフォシスを絶えず続ける欲望と脅迫的観念に駆られた人びとは、より効率的に、速やかに、無駄なく、創造的で自己実現的な存在へと、自らを作りかえようとするのである(エリオットほか, 2010)。
転勤の拒否と、それに伴い選ばれる「転職」という雇用の移動は、もはや一個人の気まぐれや我儘ではない。「最近の若い人はすぐにやめるからなぁ」で、済ませられるものではない。それは、日本的雇用慣行の限界と、新しい個人主義の台頭、移動の個人化が交差し、衝突するところで起こる現代の働き方の変容を象徴する現象なのである。
男女で異なる転勤経験
ここまで転勤と移動の個人化について考えてきたが、ここでいう移動の個人事化とは、移動が個人的なことに“なった”という意味ではない。それはあくまで、人びとが移動を個人的なこととして“考えるようになっている”という状況を示すものであり、実際に社会的、政治的、経済的要因による影響を受けなくなっていると言っているわけではない。事実、そんなことはない。
このことがよくわかるのが、転勤とジェンダーという観点である。前述の調査によれば、転勤経験があるのは男性で32%、女性では7%にすぎない[5]。さらに、転勤をきっかけに退職した割合は、男性より女性の方が高く、転勤をめぐるジェンダー間の差は明白だ。
河岸(2024)によれば、年代関係なく従業員が転勤を拒否する共通の理由として、①共働きであること、②子育て、③介護、④新しい土地への適応があり、とくに共働きや親の介護を行う従業員が増加傾向にある。さらに実態として、総合職における転居を伴わない転勤の経験割合に男女差は見られないのに、転居を伴う転勤の経験割合は男女差が大きい(高見,2026: 91)。また、共働き夫婦が転勤する場合(家族帯同)、男性では配偶者が仕事をやめている傾向がある(大槻,2026:103)。
日本の転勤慣習は長らく、「移動する男性」に「付いていく女性」、あるいは「移動する男性」から「離れて待つ女性」という構図を前提としてきた。移動する男性はしばしば自己決定を欠いた半ば強制的な転勤命令を受け[6]、女性は、家を守り、子を育てる、といった性別役割分業、あるいはそのことに起因するキャリアの中断/断念、自己決定なき移動ないし不移動(インモビリティ)が求められた。
こうした慣習は、企業と家族の一体的な関係性の下、生産領域と再生産領域からなるシステムを安定させながら、日本社会にジェンダー不平等や「夫が働き、妻が家事・育児に専念する」という近代家族を標準的な家族モデルとする意識を継続させてきた(藤野, 2025)。転勤という制度のなかで移動の権利や自由は、性別によって振り分けられてきたのである。
そして現在、共働き世帯が増え、家族のかたちや働き方が多様化する中で、妻が夫の労働を支え家庭運営を担うことを前提としてきた転勤制度は、その存在基盤を失いつつある。かつて転勤を正当化してきた規範は揺らぎ、同時に、企業に自らの居住地移動やキャリア形成を委ねることを可能にしていた長期的信頼関係も弱まっている。
新しい個人主義に支えられた人々は、もはや制度や慣習に対する従属ではなく、自己の成長や生活戦略に即した自由で主体的と“思われる”移動を志向する。望むと望まざるとに関係なく、それはしばしば社会的・制度的圧力によって促されるのである。しかし一方で、歴史的に性別によって形づくられてきた移動と不移動の構造は、依然として人々が働き続けるために必要な選択を制約してもいる。
転勤が直面する問題は、単なる人事労務の問題ではない。それは、企業と家族を結びつけてきた戦後日本的な雇用慣行と、ジェンダー秩序、そして勤労の義務を成立させる移動の権利と自由の意味そのものを問い直すことを迫る問題なのである。
ジェンダー中立ではないテレワーク・在宅勤務
ここまで転勤と世代、ジェンダーをめぐる状況をみてきたが、こう思った人もいるのではないだろうか。「テレワークやリモートワークが普及すれば、転勤に関する問題は徐々に解決されるのでは?」と。
たしかに、新型コロナウイルス感染症の拡大以降、以前と比較して普及したテレワークは(それでも可能な人は圧倒的に少数派であるが)、さまざまな移動をめぐる格差を解消する可能性を秘めている。結婚や出産で退職した女性がテレワークにより在宅で働くことは、育児や介護と両立して場所や時間に拘束されずに働く機会を提供しているという実態も報告されている(井原・湯淺・神力, 2019)。
しかし、一見するとジェンダーに中立な技術に見えるテレワークが、実は顕著なジェンダー・ギャップを伴うものであるとしたらどうだろうか。たとえば、コロナ下、在宅勤務やテレワークの推進に取り組んだ企業は、男性の勤める職場での取り組み割合が約23%なのに対し、女性の勤める職場では13%と、10%も少なく、割合比でみると、女性は男性の56%と、4割以上も少なかった(山口・大沢, 2021)。
一体なぜこんな差が生まれてしまうのか。理由はいくつかある。まず、雇用形態の差、つまり正規雇用か非正規雇用かの違いだ。男女間の非正規雇用割合には大きな差がある。2025年分の最新の調査結果によると、非正規の職員・従業員数は男性で678万人と4万人減少している一方で、女性は1450万人と6万人増加している [7]。女性の社会進出は進んでいるが、その進出の仕方には依然として大きな差があるわけだ。
そのうえで、コロナ禍以前から、非正社員は正社員に比べて、テレワーク制度が適用されている割合が低かったが、コロナ後、その差はさらに明瞭となった。正社員のテレワーク制度適用が19.1%であるのに対して、パート・アルバイトでは僅か3.5%に留まったのである(麦山・小松,2023)。
その他にも、女性割合の最も低い「運輸・情報通信業」で在宅勤務の推進割合が最も高く、逆に女性割合の高い「卸売・小売・飲食店」「その他のサービス業」などが在宅勤務推進割合の最も低い職業であること、平均所得の高い職業ほどテレワークの実施割合が高いこと、従業員規模の大きい企業ほど在宅勤務の推進割合が高いこと、なども結果的に男女間のテレワークの実施/機会格差を生む要因となっている(山口・大沢, 2021)。
繰り返すようだが、たしかにテレワークや在宅勤務が推進されることで女性の労働参加・社会参加が進み、仕事と家庭の両立がしやすくなる側面はある。しかし、完全にジェンダー中立な技術や制度は存在せず、テレワークの導入と拡大には、既存の経済格差や男女格差を固定化・再生産する方向に進むことがあるという重要な事実を見過ごしてはならない。
ワーケーション中の子育てを担うのは誰か
数年前、地域振興の一環で、「ワーケーション」と呼ばれる仕事(work)と観光(vacation)を組み合わせた取り組みの推進に関わる機会があった。参加している人の多くは、「生産性が上がった」「つながりが広がった」「リフレッシュになった」と語り、一見、事業は成功しているように思えた。
しかし、遠方からやってくる参加者に目を向けると、その大半は男性であった[8]。パソコン一台あればどこでも働ける、田んぼの真中にアウトドアチェアを置き陽の光を浴びながら、談笑しながら仕事をする、夜にはネットワーキングを目的とした食事会があり、二次会でスナックへと消えていく。
たしかに受け入れる地域にとっては経済の活性化へとつながり、参加者にとっても貴重な経験になっているのだと思う。子育てや教育の話で意気投合したり、次回のワーケーションの企画を楽しそうに話したりしている。ワーケーションということは、これは半分、仕事である。
ではその間、子どもと一緒に過ごしているのは誰なのだろうか。たまの息抜きなのかもしれないが、息抜きならば家族と共に来ることはできないのだろうか。家族と一緒に来れず一人で来ているのならば、そのことを他の家族はどう思っているのだろうか。人の移動を羨ましいと思ったことがある男性は28.6%であるのに対して、女性は44.2%と顕著に高い数字が出ているが(伊藤,2025)、それは一体、なぜだろうか。
ホームに閉じ込められるインモビリティ
移動の自由や裁量は、職場で配分されるだけではなく、家庭の内側でも配分されている。コロナ禍が突きつけたのは、この配分の不平等が、羨望や負担の偏りにとどまらないということだった。
移動できないことは、ときに生存や安全性を左右する。外出自粛やロックダウンによって「家にいること」が強く要請されたとき、その家(ホーム)は、誰にとっても同じように安全な場所ではなかった。
あれから5年が経つが、コロナ禍のインモビリティをめぐる憂慮すべき出来事の一つに、家庭内暴力(DV)の増加があった。内閣府が行った調査によると、コロナ禍におけるDV相談件数は増加していた[9]。全国の配偶者暴力相談支援センターとDV相談プラスに寄せられた相談件数を合わせると、2020年度は19万30件で、前年度比で約1.6倍に増加していた[10]。英国など他国でも同様の傾向が確認されている(Murrayほか, 2022)。
DVから避難場所への移動は、暴力から逃れるための選択肢のひとつであったが(Bowstead, 2020)、ロックダウンやその他の移動制限の影響により、その移動可能性は限られてしまった。その結果、半強制的なインモビリティによって状況が悪化したと考えられる(Adeyほか, 2021)。
社会学者の小ヶ谷千穂によれば、パンデミックは、ホームが決して安全・安心ではなく、また不平等なジェンダー関係に基づいて構築されたジェンダー化された場所であることを改めて明るみにした。ホームがこれまで安定していたように見えていたのは、実際にはホームが外界から閉ざされていなかった、つまり常態としての移動との連続性の中にあったからである。多くの人にとってホームは、さまざまな不平等を内包しながらもかろうじて成立していた(小ヶ谷, 2020:89-95)。
しかし、インモビリティが高まりホームが固定化したとき、移動とホームの連続性が断絶したとき、暴力や逃避というかたちで、移動をめぐる不平等なジェンダー関係の一側面が顕在化したのである。
もし、あなたが誰かを暴力的に支配しようとしても、相手が自由に移動できる限り、それは難しい。暴力から逃げられるなら、支配からも逃げられるからである。哲学者の國分功一郎はこう言う「移動の自由は支配と服従から逃れる可能性の根本なのである」と。
移動の自由が人々の権利として認められていることは、理不尽な支配や統治に抵抗するための最低限の条件である。しかし、感染症の拡大による移動の制限、テレワークの導入・拡大と在宅の促進、依然として固定的なジェンダー役割分業が重なり合ったとき、暴力の増加という悲惨な結果を招いてしまったのである。
転勤という命令と、在宅という要請と、ホームという空間にひそむ規範。仕事と移動をめぐって見えてきたのは、日常に寄り添うはずの移動の自由ほど脆く、また政治性を帯びているという現実である。
注
[1] 本論考の一部は、雑誌『世界』2025年10月号に掲載された「『転勤』制度の岐路――新しい個人主義とジェンダー秩序の交差点」を大幅に加筆・修正したものである。
[2] エン・ジャパン株式会社(2024)「転勤に関する調査レポート」https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001039.000000725.html
[3] 株式会社パーソル総合研究所(2024)「転勤に関する定量調査」https://rc.persol-group.co.jp/thinktank/data/transfer/
[4] 人々の移動資本やネットワーク資本は、個人の実力や能力以外の構造的な問題や不平等によっても成り立っている。自己責任に帰することで見逃してしまうことが多々あるにも関わらず、である。
[5] エン・ジャパン株式会社(2024)「転勤に関する調査レポート」https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001039.000000725.html
[6] 気をつけなければならないのは、「転勤する男性」もその男性性に基づく圧力を強く受けていることである。男性は移動するもの、男性は転勤が当たり前、という価値観に基づく転勤命令は自ずと「お前は男なのに転勤を断るのか」「男なら家族と離れてでも全力で働くべきだろ」という規範と要請へとつながる。実際、総合職の転居を伴う国内転勤の希望をみると、「したくない」と回答している男性が63%、女性が64.6%となっており、「男性の方が転勤を望んでいる」「女性のほうが転勤に否定的」といった認識は誤りであることがわかる(大槻,2026:102)。
[7] 総務省(2026)「労働力調査」https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/nen/dt/index.html
[8] 既存のワーケーションに関する実態調査を確認しても、男性の方が多い実態が伺える。パーソル総合研究所(2023)「ワーケーションに関する定量調査 調査結果」https://rc.persol-group.co.jp/wp-content/uploads/thinktank/data/workcation.pdfc
[9] 内閣府(2021)「男女間における暴力に関する調査報告書」https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/chousa/r02_boryoku_cyousa.html
[10] 内閣府(2022)「内閣府男女共同参画局における令和4年度児童虐待防止対策関連予算案等について」https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000884946.pdf
参考文献
Adey P. Hannam, K. Sheller, M. Tyfield, D.(2021)Pandemic (Im)mobilities, Mobilities, 16(1): 1-19.
Elliott, A. (2016) Identity Troubles: An Introduction, Routledge.
Elliott, A., Lemert, P.C. (2009). The New Individualism: The Emotional Costs of Globalization REVISED EDITION (2nd ed.). Routledge.
Bowstead, J. C.(2020)Private Violence/Private Transport: The Role of Means of Transport in Women’s Mobility to Escape from Domestic Violence in England and Wales, Mobilities, 15(4): 559–574.
Murray, L. Holt, A. Lewis, S. Moriarty, J.(2022)The unexceptional im/mobilities of gender-based violence in the Covid-19 pandemic Mobilities, Mobilities, 18(3): 552-565.
アンソニー・エリオット・片桐雅隆・澤井敦(2010)「新しい個人主義と現代日本――理論的手法、日本の社会(科)学、日本社会をめぐる一考察」『現代社会学理論研究』4: 67-92.
伊藤将人(2025)『移動と階級』講談社現代新書.
井原雄人・湯淺墾道・神力潔司(2019)「テレワークによる『女性活躍』についての研究」『アジア女性研究』28: 1-18.
大槻奈巳(2026)「人びとの転居を伴う転勤への考え」『ジェンダー公正な人事制度とはなにか――雇用管理区分・転勤制度見直しの実態と課題』勁草書房, 101-118.
大槻奈巳編(2026)『ジェンダー公正な人事制度とはなにか――雇用管理区分・転勤制度見直しの実態と課題』勁草書房.
小ヶ谷千穂(2020)「移動から考える「ホーム」――画一的な『ステイ・ホーム』言説を乗り越えるために」『現代思想』48(10): 89-95.
河岸秀叔(2024)「見直しが求められる転勤制度」(最終閲覧,2026.2.14, https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=77893?site=nli)
國分功一郎(2023)『目的への抵抗』新潮社.
高見具広(2026)「転勤経験者における転勤の意味と男女差」大槻奈巳編『ジェンダー公正な人事制度とはなにか――雇用管理区分・転勤制度見直しの実態と課題』勁草書房, 87-100.
藤野敦子(2025)「日本的雇用システムにおける『転勤』とは何か――ジェンダー・家族形成の視点から問う」大阪大学人間科学研究科博士論文.
牧野智和(2025)「アンソニー・エリオット『新しい個人主義』の実証的検討――ウェブ調査データの分析を通して」『人間生活文化研究』35: 584-594.
麦山亮太・小松恭子(2023)「テレワーク制度適用の企業規模・雇用形態間格差の要因――新型コロナウイルス感染症流行前後の比較分析」『日本労働研究雑誌』754: 87-102.
山口一男・大沢真知子(2021)「新型コロナの影響下での在宅勤務の推進と男女の機会の不平等」『RIETI Discussion Paper Series』21-J-002.
