第4回 なぜ「女性の流出」だけが問題になるのか

 「女性の流出は悪ですか」が意味すること

「女性の『流出』は悪ですか」、そんな見出しの新聞記事を最近読んだ[1]。この文言だけでは、どこからの、何の流出の話かわからない。しかし、これは地方から都市への人口流出を意味している。こうした記事が出るということは、裏を返せば、「地方からの女性の流出は悪である」という認識が、一定程度社会に横たわっていることを意味している。

 論調の契機は、元岩手県知事で元総務大臣の増田寛也氏が座長を務める日本創成会議が2014年に発表した一連の報告書(通称『増田レポート』)と、これをまとめた編著書『地方消滅』と、それに影響を受けた政府の主導で進められてきた「まち・ひと・しごと創生(地方創生)」にある。若年女性人口の減少を地域の危機、ひいては国家の危機に直結させる議論は、2010年代後半以降の人口減少や少子高齢化・人手不足対策、地域振興策の方向性を強く規定してきた。

 もう10年の前の話だが、そのときのことはいまでも鮮明に覚えている。具体的な数字とともに突如出てきた「地方消滅」や「消滅可能性自治体」という言葉たちは、あっという間に話題となった。一応付け加えておくと、2013年秋頃には当時、自民党の幹事長だった石破茂氏は増田氏と会談をし、増田レポートの内容について聞いていたこと、増田レポート作成の際には多くのデータを持っている官僚、具体的には総務省や厚生労働省から多くの話を聞いていたことを明らかにしている(秋田魁新報「地方創生」取材班,2024)。

 話を戻そう。『地方消滅』が衝撃的だったのは、生まれる子供の95%が20歳〜39歳の若年女性の出産によるものと指摘したうえで、この若年女性人口が減少し続ける限りは日本の総人口の減少に歯止めはかからず、896の自治体は消滅の可能性がある、と提示した点にあった。その考え方と課題認識は、すぐさま政府の中核的な問題設定として定着し、全国の自治体はいかにして若年女性に留まってもらうか、移住してもらうか、そして子どもを産んで育ててもらうかに、政策資源を振り向け、競い合う構図を生んだ。

 この流れは政治や政策にとどまらず、広く社会でも共有されてきた。図1は、朝日新聞で「女性 and 流出 and 課題」と「男性 and 流出 and 課題」というキーワードが見出しと本文に含まれる記事の推移である。過去40年の間に徐々に取り上げられるようになってきたが、2014年を境にそれ以前より多くの「女性の流出」の課題性を取り上げた記事が掲載されるようになったことが読み取れる。対して、「男性の流出が課題である」という言説は女性に関する記事よりも一貫して少ない。

図1「女性・流出・課題」「男性・流出・課題」というキーワードを含む新聞記事の推移[2]

問題にならない男性の流出

 では、ここで立ち止まって考えてみたい。なぜ、男性の流出は相対的に「悪」とされにくく、女性の流出は「悪/課題」として扱われやすいのだろうか。言い換えれば、なぜ特定の地域を超える移動が、規範的にジェンダー化されるのだろうか。

「それは、出産が女性の問題だからでしょ」と考える人もいるかもしれない。だが少なくともいまの日本では、出生と子育ては個人の問題であると同時に、家族制度・雇用慣行・地域規範などを通じて社会が負担と責任を配分する領域である。しかも、地方からの転出の要因には、進学機会の地域差や賃金格差といった構造的条件が大きく影響している。にもかかわらず議論が「女性の問題」へと回収されやすいのは、一体なぜなのか。

 さらに言うと、「女性の流出は悪である/課題である」という言説の厄介さは、統計の顔をしながら、道徳として機能することで、新たな社会的・政治的規範を構築してしまう点にある。人口移動そのものに、良いも悪いも、正しいも間違いもない。どこかへ移動するとき、誰かによって「悪い」「問題」と指摘されることで移動は政治化され、規範として立ち上がるのである。

移動の政治(politics of mobility):女性の移動だけが、政治的・政策的な対象となる

 イギリスに生まれ、日本でも『空間の経験』や『個人空間の誕生』などで知られる人文地理学者のイーフー・トゥアンに師事したティム・クレスウェルという人文地理学者がいる。2013年に詩集Soil を出した詩人でもある彼は、場所や移動性に関する研究成果を数多く世に送り出しており、日本でも地理学を中心に度々言及されることがある。

 クレスウェルは、移動(mobility)は単なる物理的・空間的移動ではなく、それがどう生み出され、どう意味づけられ、どう経験されるか、それ自体が意味づけや経験、制度的な配列と絡み合う権力の場であるという見方を提示している。彼が「移動の政治(politics of mobility)」と呼ぶ見方は、ある移動がどのように生み出され、どのように語られ、どのように経験されるのか、その絡まり自体が政治的であることを示すものである(Cresswell, 2010)。

 また、クレスウェルは「身体の動きと移動のパターン(movement)」「その表象(representations)」「それを可能/不可能にする実践(practice)」が絡むものとして移動を捉え[3]、文化的・社会的に形成されていることを強調した。

 この整理に従って「女性の流出は悪である」という言説を紐解くと、厄介さは、①移動のパターン、②移動の語られ方、③移動の実践の三層すべてが同時に「女性の問題」として再構成されている点にあることに気がつく。問題は「女性が流出している」という事実そのものではなく、女性の移動だけが選別され、政治的・政策的対象にされるプロセスと論理にこそある。それは、クレスウェルの言う移動の政治そのものである。

実は他都道府県への転出は男性の方が多い

 クレスウェルの整理をヒントに、もう一歩考察を進めてみよう。まずは、移動のパターン(movement)に着目してみたい。「地方からの女性の流出が止まらない」「2040年地方消滅へ“若年女性”流出をどう抑えるか」「“若い女性の転出”なぜとまらない?」というメディアの見出しをみていると、あたかも女性だけが地方から流出しているように聞こえるが、実は現状は異なる。

 男女別の他都道府県への転出者数(全年齢)の推移を確認すると、一貫して女性よりも男性の転出者数が多いことがわかる(図2)。したがって、女性の流出だけをことさらに強調し、その問題性を訴える言説は、現実の一部だけを切り出している可能性が高いのである。

図2 男女別他都道府県への転出者数[4]

不可視化される「東京が関係しない」地域間の移動

 当たり前に用いられている(私自身も用いる)概念も問い直してみたい。ここまで何度も「地方」「都市」と書いてきたが、それは具体的にどこを指すのだろうか。名古屋市は都市だろうか、私が中高生時代に遊んでいた長野県松本市は都市だろうか、それとも地方だろうか。そもそも、地方都市という語句もある。

 地方から都市への人口流出が問題化されるとき、実質的には一般名詞としての「地方から都市」ではなく、「非東京(圏)から東京(圏)」の問題として暗黙のうちに語られることが多い。若年女性の人口減少が著しい自治体の特徴として、東京(圏)への流出が背景にあると繰り返し報じられるが、実際には地方間の移動もあるし、都市間の移動もあるし、都市から地方への移動もある。しかし、それらの多様な移動は日本がかかえる大きな課題である「東京(圏)一極集中の是正」という強力な磁場を放つ“正しさ”とセットで語られることで、東京が関係しない地域間移動は不可視化され、移動の多様性・複雑性は周縁化されていくのである。

過剰に焦点化される「地元を離れる」

 さらに、移動を「出ていく移動(転出)」だけで語ることは、現実を見誤らせる。なぜなら、人びとの住まいの移動(引っ越し)は生涯で複数回にわたるのが一般的であり[5]、多くの人は何度も移動しながら生きているからである。

 韓国の地方移住する若者たちを研究する金磐石(2025)の言葉を借りるならば、移動する若者たちは、構造的な制約と不安定性の中で、新しい人生の可能性を見出し、実験する戦略として移住・移動を選択しており、それは1回の決断だけで終わるのではなく、絶えず続く迷いと試行錯誤、移動と居住が交差する中で形成される。ところが、女性の流出言説は、地元を離れるという一度の移動に過剰にフォーカスするあまり、残る、戻る/戻らないは十分に語られないことが多い。そこでポイントとなるのが、女性の「Uターン」の相対的少なさである。

男性の方が高いUターン率

 実は、東京を除く道府県においては、Uターン率は基本的に女性より男性の方が高い。たとえば、国立社会保障・人口問題研究所が2016年に実施した調査では、男性のUターン者割合が23.0%に対して、女性は17.8%となっている[6]

 ここに、議論のねじれがみえてくる。統計から読み取れるのは、「女性が出ていくこと」それ自体が本質問題なのではなく、男性と比べて相対的に女性が地元に戻りにくい/戻れない条件が、人口維持や再生産を難しくしている、という構造である。にもかかわらず、こうした実態が十分に共有されないままに「女性の流出は悪である」言説が広がり、社会的・政策的に影響力をもつようになっている。その結果、女性の移動に直接的に政策が介入し、コントロールすることが正当化/正統化されているのである。

逸脱として認識される女性の移動

 ジェンダーと移動をめぐる研究が一貫して指摘してきたのは、男女の移動をめぐる差異が「好み」や「性格」だけで説明できないということである。Prestonら(2024)は、日常移動の男女差がケア責任[7]の偏りと結びついていること、そして社会的に定義されたジェンダー規範や制約、責任、権力関係が、移動の経験を形作ることを指摘している。

 では、女性の移動には主体性がないのだろうか。そうではないだろう。そこには、主体性と呼べるものもある。しかしその主体性は、それだけが真空のなかに存在するのではない。家事・育児・介護・地域行事・親族関係のコミット性別役割分業に基づくケアの日常的配分の中で、移動可能性は構造的に強い影響を受けている。そうして、女性と男性の移動の違いは、単なる行動・経験上の違いにとどまらず、その違いを生み出した権力関係を、改めて肯定し再生産するのである(Cresswell and Uteng, 2008)。

 これらの指摘は、「女性の流出は悪である」言説の核心を捉える。ある特定の女性の移動が「悪」というレッテルを貼られ、それは「逸脱」として認識・表象される。なぜ、女性の移動が逸脱と認識されるのかと言えば、男性性は「移動的で活動的」なものとしてコード化され、女性性は「相対的に静止的で受動的」なものとしてコード化されているからである(Cresswell and Uteng, 2008)。そこにさらに、「女性は生まれ育った地域から動かずに、家族を支えるべきだ」という、家父長制的な既存のジェンダー秩序とそれに基づく性別役割が加わることで逸脱の認識は補強されるのである。

 こう言うこともできるだろう。「女性の流出は悪である」言説を支持する人びとは、本質的に女性の移動を止めたいのではないかもしれない、と。女性の移動が「(その人たちが思う)正しい在り方」から外れることを、それによって生じる間接的・二次的な負の影響を恐れているのだ、と。

当事者の形から見えてくる、悪に“される”女性の移動

 では、なぜこのような認識が生まれるのか。地方と女性の問題に当事者へのインタビューでアプローチする「地方女子プロジェクト」を運営する山本蓮さんらの聞き取りでは、次のような声が紹介されている[8]

「お盆やお正月では、料理を準備したり運んだり忙しそうなのは女の人、座って食べて飲むだけの男の人を見てきた。『将来、女の子なんだから気の利く人間になりなさい』と言われた時は、女の人って生きづらい、と感じた。」(25歳・新潟県出身)                 

「地域の行事や集まりで、女の人が料理よそって、男の人が座って食べてるのを見て、私も将来こんなことやらなきゃいけないのかな…と思う。」(19歳・山形県出身)

 「保育士として働いていましたが、手取りは13万ほど。せめて20万くらいは欲しいなというと、『何に使うの?』『結婚したらいいじゃない』とか、そういう返事しか返ってこない。私の理想は、狭くてもいいからワンルームで1人暮らししていけるだけの収入がほしいんです」(滋賀在住・36歳)

「不妊治療に取り組んでいる最中、近所付き合いで『新婚さんなんだからそろそろ子どもよね』と日常的に声をかけられるのが辛く、家から一歩出たら全員敵だと思っていた。子どもがいないと地域コミュニティに参加しづらい。」(32歳・富山県在住)                

 これらの語りが示唆するのは、人口減少や少子化、そして地方からの女性の流出が、「女性が自由に移動してしまうことによる問題」ではなく、むしろ逆に、その地域のジェンダー秩序/規範が女性の自発的な定住(非-移動)や回帰を困難にしている可能性である。にもかかわらず、社会や政策の語りはしばしば「女性が出ていくのが悪い」に回収される。これは、移動の表象(representations)が、現実の複雑さや構造的な問題を削ぎ落とし、単純な善悪に仕立て直すからである。

 ここでようやく、冒頭の問いに戻ることができる。女性の流出は悪なのか。答えは単純で、移動それ自体は悪ではない。社会的、政策的に、ある特定の女性の移動が悪に“されている”のである。

 次回は、今回深堀りできなかった地方もしくは非東京(圏)へと向かうUターンやIターンと呼ばれる地方移住とジェンダーについてみてみたい。なぜなら、女性の流出という移動が政治の対象であるように、また女性の地方移住という移動もまた政治の対象となっているからである。移動の現実は一枚岩ではない。それは主体性と構造と政治が絡み合う交点にあり、その絡まり自体が不平等や偏見を含んでいることを忘れてはならない。

[1] 日本経済新聞「女性の『流出』は悪ですか 『移住婚支援』からの脱却」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA143GJ0U5A110C2000000/.

[2] 朝日新聞クロスサーチを用いてキーワード検索を行った結果である。キーワードの設定は「女性 AND 流出 AND 課題」とし、対象は見出しと本文、同義語を含む設定とした。

[3] より具体的には、移動とは①Movement(移動のパターン):誰が、どれだけ、どこへ、どんな頻度で動くか、②Representations(表象・語り・イメージ):その移動が「自由」「逸脱」「危険」「正当」など、どう語られるか、③Practice(実践・身体化された経験):身体感覚、習慣、技能、恐れ、快/不快、交通モードの使い方など、が絡み合うものであるという(Cresswell, 2010)。

[4] 総務省(2024)「住民基本台帳人口移動報告 / 長期時系列表(昭和29年~)) 

[5] 国立社会保障・人口問題研究所(2024)「2023年社会保障・人口問題基本調査 第9回人口移動調査結果の概要」https://www.ipss.go.jp/ps-idou/j/migration/m09/ido9gaiyou_rev2501.pdf

[6] 国立社会保障・人口問題研究所(2018)『2016年社会保障・人口問題基本調査 第8回人口移動調査 報告書』https://www.ipss.go.jp/ps-idou/j/migration/m08/ido8report.pdf

[7] 子育てや介護など他者の世話をする責任

[8] 山本蓮(2025)「地方の女性流出の背景にあるもの〜『人口減少、私たちが問題ですか?』と問いかける26歳が始めた社会の変え方〜」。筆者が受け持つ大学の講義にて山本さんに講演していただいた際の講演資料より引用。

参考文献

Cresswell, T. and Uteng, T. P.(2008) Gendered mobilities: Towards an holistic understanding,Gendered Mobilities, Routledge:1-12.

Cresswell, T. (2010) Towards a Politics of Mobility, Environment and Planning D: Society and Space, 28(1): 17-31.

Preston, V., McLafferty, S., Maciejewska, M., and Yeoh, B. (2024) Gender and mobility: an introduction, Handbook of Gender and Mobilities, Cheltenham, UK: Edward Elgar Publishing , 1-12.

秋田魁新報地方創生」取材班(2024)『地方創生――失われた十年とこれから』秋田魁新報社.

金磐石(2025)「不安定と流動性を生き抜くためのモビリティ――韓国慶尚南道南海郡の若年層の移住者を事例に」伊藤将人・鍋倉咲希・野村実・吉沢直・金磐石・鈴木修斗編著『モビリティーズ研究のはじめかた――移動する人びとから社会を考える』明石書店, 96-107.

山﨑泰彦(2022)「出生率を考える視点」『Web年金広報』757.


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