第3回 十五少年漂流記/少年たちは無人島に共和国を創った

 『十五少年漂流記』を読んだのは、たぶん中学二年生あたりではなかったか。思いだしたように、忘れかけていた冒険物に夢中になった時期がある。『ロビンソン・クルーソー』を再読し、『スイスのロビンソン』や『十五少年漂流記』などへと関心を伸ばしていった。つまり、『ロビンソン・クルーソー』や『トム・ソーヤの冒険』を読んだ小学四、五年生のころと、『十五少年漂流記』を読んだ中学二年生のあいだには、空白の期間があったのだ。中学校の図書室には、はるかに多くの蔵書があった。関心が生まれると、芋づる式にたぐり寄せて、冒険物のレパートリーを広げて行くことができた。
 たとえば、十歳の少年と十四歳の少年のあいだには、眼には見えない裂け目がたしかに存在した。夢見がちな幻想の季節を生かされていた十歳の少年は、やがて思春期が近づくと、道徳や社会規範に身を寄せて分別臭くなってゆく。性という問題と避けがたく向かいあわねばならなくなる。十四歳の少年にははっきりと正義感が芽生え、世の中の非合理といったものにも敏感になる。そして、読書の意味そのものが大きく変わってゆく。本好きな同級生と情報を交わすことが多くなったことを、よく覚えている。
 そのとき、わたしは十四歳だった。『十五少年漂流記』をはじめて読んだ。夢中で読み耽ったことはよく覚えているが、どんな感想を持ったのかは、例によってまるで記憶していない。おそらく、中学生向けのシリーズであったはずだ。ジュール・ヴェルヌのほかの作品、たとえば『八十日間世界一周』や『海底二万里』なども続けて読んでいる。シャーロック・ホームズやルパンに絡んだ、探偵小説も読みはじめたはずだ。
 『十五少年漂流記』については、そんなふうに言語化することはできなかったが、漠然とではあれ、社会との出会いというテーマを感じ取っていた気がする。仲間とは何か。それは思春期の子どもたちにとって、きわめて具体的かつ深刻な問いであった。中学生向けに編まれた版であったから、省かれた場面も少なからずあったはずだが、それでも、そこには少年たちの集団的な葛藤や争いが丁寧に描かれていて、生々しいものに感じられたことだろう。『ロビンソン漂流記』は、孤島を舞台として、いかに独りで生き延びるかを描く小説であり、黒人青年の登場とともに他者との出会いが描かれはするが、社会が真っすぐに問われることはなかった。あらためて完訳版を読むことで、まさに、『十五少年漂流記』は少年たちが社会と出会う小説であったことを再確認することになった。
 いま、わたしの手元には、新潮文庫に収められた波多野完治訳の『十五少年漂流記』がある。波多野の「解説」によれば、ヴェルヌの小説にはもっぱら「男の世界」が描かれ、セックスはまったく省略される、という。たしかに、『十五少年漂流記』に登場するのは、八、九歳から十四、五歳の少年たちばかりであり、少女という存在は排除されている。後半にいたって、荒々しい水夫の男たちや優しい中年女性が現われて、急展開となるが、どこか場外乱闘による決着のように感じられる。ともあれ、恋愛やセックスといったテーマはあらかじめ禁じられている。それゆえ、そこでの欲望や葛藤は、ホモ・ソーシャルな「男の世界」の力学や関係に支配されている。十五人のなかに少女が含まれず、いわば対幻想というノイズを巧妙に避けながら、私的な幻想と共同幻想とがじかに接続される舞台設定であったことは、とても大切な読み解きの鍵である。
 ところで、波多野がこの小説について、「少年たちが無人島に共和国を建設する」物語であると自明に語っていることが、気にかかった。子どもでも、みんなで団結すれば、りっぱな政治ができるという考え方は、ヴェルヌの創案ではないが、ヴェルヌはこれを小説の形にして、共和主義や議会制民主主義の理想を少年に説いて聞かせたかったのだ、という。『十五少年漂流記』は日本では、とりわけ大きな成功を収めたらしい。明治二十九(一八九六)年に、森田思軒によってはじめて日本語訳が刊行されている。日本の少年たちは、無人島に共和国を創る物語にかぎりなく想像力を刺激された、という。
 この共和国の構成員は、フランス人のブリアンとジャックの兄弟、アメリカ人のゴードン、そのほかはドノバンなどイギリス人であった。いや、もう一人、黒人少年のモーコーがいた。わたしの記憶にはなかった存在だが、大切な役割を演じている。かれらは国籍や人種だけではなく、出身階層や家庭環境が異なった男の子たちであり、ことさらに多様性が強調されている。かれらはニュージーランドの首府オークランド市にある、島に渡ってきた白人の子どもだけを受け入れるチェアマン学校の生徒たちであった。ニュージーランドはこの時代、イギリスが南太平洋に持っている重要な植民地のひとつであり、いわば、欧米からの入植者たちが政治的にも、文化的にも複雑に絡みあう移民社会だったのである。それゆえ、先住民の子どもであるモーコーが、遭難する船のスルギ号にボーイとして乗船していたことは、幾重にも示唆的であった。植民地における支配と隷属の関係が、そこに凝縮されていた。白人のための学校から、いや、教育制度そのものから排斥された存在であった。しかし、島でのサバイバルのためには欠かすことができない、実践的な知識や技術を持つことで、たいへん信頼されていたのだ。
 少年たちが輪になって話しあう場面が、まるで模擬議会のようにくりかえし描かれる。議論そのものは、ブリアン・ゴードン・ドノバンという、年長のリーダー格の三人を中心に進められるが、ほかの少年たちもそれぞれに参加する。たとえば、無人島に上陸する前に、こんな場面があった。ブリアンが小さな船長のように、一緒に固まっていなければだめだ、もし誰か一人が自分勝手に振る舞えば、みんなが助からない、と語りかける。ドノバンはそれを聞いて、君は法律をつくって、僕たちに押しつけるのかと反発し、ブリアンはみんなが安全に上陸するためには、心を一つにしなければならないと言ったまでさ、と応じる。いちばん年上で、思慮深い少年であるゴードンが、それに賛意を示した。幼い少年たちも口々に賛成する。争いは次々に起こった。ブリアン派とドノバン派に、自然と分かれる。王様みたいに、好き勝手な真似はさせない、指図なんて夢にも思っていない、自分の考えに反対する者を馬鹿扱いするのか、議論をするときは、相手の意見をよく聞かなければだめだ、といった言葉が飛び交う。それをゴードンがなんとか仲裁する。
 ともあれ、十五人の少年たちが、仲良く元気に暮らしてゆくためにはどうしたらいいのか、それが最大のテーマであった。あるとき、島をチェアマン島と名づけたあとで、ブリアンが大統領を選んだらどうか、という提案を行なった。誰か一人が命令を下して、みんながそれに従うことにすれば、すべて順調に運ぶ、という。みんなが賛成した。大統領の任期を一年と決めて、再選を認めることにした。ブリアンがゴードンを、「いちばん考え深い人」として推薦し、みんなの拍手で決まった。ゴードンは迷ったが、将来、争いが起こったときには、大統領の力が役に立つと思いかえし、引き受けることにした。共和国の構想が動き出したのである。
 ゴードンは考えた。島では、みながそれぞれ一人前の人間として働き、考えるようになってほしい。だから、イギリスの寄宿学校のように、下級生が上級生のために靴を磨いたり、食事を運ぶようなことはやめて、幼い少年たちにも、年齢と能力にふさわしい仕事が割り当てられた。大統領としての役目は、日課がきちんと行われるように見守り、具合が悪ければ改めることとされ、少年たちの仕事の分担が決められた。もっとも大切なのは、日付と時刻を正しく知ることであった。島の生活を日記に記録することも、大事な仕事となった。ありがたくない仕事に洗濯があったが、これはモーコーにだけ任せるのでなく、年上の少年たちが手伝うことになった。
 あるとき、大統領のゴードンは、幼い少年を罰する必要に迫られた。何度も命ぜられた仕事を怠けて、きつい注意を受けていた。この少年は、丸一日パンと水の食事しか与えられない罰を受けて、さらに、鞭で打たれることになった。ブリアンは「たとえ大統領の命令でも、誤ったことには従うことはない」と信じていたから、この罰に強く反対した。この共和国では、いわば大統領にたいする抵抗権が認められていたのである。結局、少年は鞭打ちの罰を受けることを承知し、一人の少年が鞭を振り下ろす任務を命ぜられた。
 ブリアンとドノバンの対立は、さらに激しくなってゆく。ついに、ゴードンが「僕は大統領として、これからこの島では腕力に訴えるようなことを禁ずる」と宣言する。やがて、任期が切れて、新しい大統領を選ぶ選挙が行なわれた。黒人のモーコーには選挙権がなかった。ブリアンが二代目の大統領に選ばれた。かれの勇気とすぐれた実行力が認められたのである。ドノバンはついに、「洞穴の平和を破る者」となった。ブリアンにたいして「僕たちの上に立つ権利がない」と批判したうえで、自由の行使として、仲間三人とともに洞穴を去ってゆくことになる。反乱を起こしたのである。しかし、「七人の悪人」が平和な島に侵入したことで、このいさかいは終息する。敵の出現とその脅威によって、十五人の少年たちは心をひとつに団結せざるをえなかったのである。
 たしかに、『十五少年漂流記』には、十五人の少年たちが葛藤や衝突を乗り越えながら、共和国を手探りに創造してゆくプロセスが丹念に描かれていた。大統領を選挙で決めて、平和を維持するために権力を委ねる。法と刑罰のシステムを整える。議会が開催され、ときには激しい議論が交わされて、意志の決定がなされる。大統領への抵抗権を認め、「洞穴の平和」に守られた国家から離脱することを、自由の行使として許す。ヴェルヌが生きていたフランス共和国の現実が、それぞれに投影されていたにちがいない。
 わたしはふと想像する。『十五少年漂流記』の邦訳がはじめて出版されたころは、まさに政治的な激動の季節であった。明治二十年代のできごととして、大日本帝国憲法の公布、第一回の総選挙、日清戦争などが並んでいる。まさしく新しい政治の夜明けであった。日本人の少年たちは、『十五少年漂流記』という冒険小説をどのように読んだのだろうか。はるかな欧米列強の国々で行なわれている政治の現実を、少年たちによる選挙や議論のあり方を仲立ちとして眺める、擬似的な体験でもあったかもしれない。むろん、わたしがそうであったように、たんなる冒険小説として読まれた可能性のほうがずっと高い。それにしても、「少年たちの生活は社会の縮図である」という言葉には、眼を留めておきたい気がする。
 いまひとつ、読み飛ばしてきたことがあった。
 この漂流事件のきっかけとなったのは、ブリアンの弟のジャックの子どもらしい悪戯であった。それを知ったブリアンは、その罪の償いのために、ジャックに進んで危険な仕事を引き受けさせた。ついに、仲間のために自分自身の生命を捧げようとして、みなの前で罪を告白したジャックは、「許して、許して」と泣き叫んだ。ブリアンはジャックに、お前は自分の罪を打ち明けた、いま、お前はその償いをするんだ、と伝えた。すると、ドノバンが真心を込めて、ジャックは何度も、みんなのために命を投げ出してきた、いまこそ、ブリアンがいつもジャックを危険のなかに追いやった理由がわかったよ、と言った。そうして、みんなでジャックを許した。それから、ブリアンは兄として弟の罪を償うのは当然だと言い、凧の「空の巨人」号に乗りこんだ。「大きな鳥に天国へと連れていかれるような」気持ちであった。この物語には、キリスト教的な罪とその贖い、そして犠牲的な行為というテーマが、通奏低音のようにこだましていた。とはいえ、十四歳のわたしが知るよしもなかったことだ。
 たかが少年小説である。しかし、それを少年の日に読んだ経験は、いくらかの影をのちの日々に落としていたのではなかったか。わたしはいま、老境にさしかかり、六十年振りに『十五少年漂流記』の完訳版を愉しく読んだ。ひとつの本はきっと、いくつもの異なった貌を秘め隠している。七十二歳のわたしは、十四歳の『十五少年漂流記』を愛おしく呼びかえしながら、あらためて読書の快楽に思いを寄せている。


 

 

 

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